Air Supply The One That You Love [CD]
エア・サプライはオーストラリア出身のシンガー・ソングライターでありギタリストのグラハム・ラッセルとリード・ヴォーカリストのラッセル・ヒッチコックによって75年にオーストラリアで結成された。前作のアルバム「Lost In Love」は世界進出を果たした出世作なら、エアサプライが81年にリリースした6枚目のアルバム「The One That You Love」は人気ポップAORグループとしての地位を確立した快心作。ラッセル・ヒッチコックとグラハム・ラッセルの二人のツインボーカル(特にラッセル・ヒッチコックの甘く澄んだ高音の声は素晴らしい)による優美なメロディと爽やかなヴォーカル&ハーモニーを特徴とする彼らの音楽は「ペパーミント・サウンド」と称され、本作は清涼感と透明感は、前作よりさらに充実感を増したアルバムとなっている。面白い事にエア・サプライは、76年のデビュー以来メンバーの変動が年中行事のようになっていて、今回のアルバムもクリストン・バーカー(B)が抜けて、新たに3にんを補充し、7人組に拡大している。アルバムに収録された10曲のうち7曲はグループの中心的なグラハム・ラッセルが作曲・作詞をしている。バラードの名曲「Here I Am (Just When I Thought I Was Over You)」はアート・ガーファンクルやデビー・ブーンなどにも曲を提供しているシンガー・ソングライターのノーマン・サリットの作曲で、彼自身のアルバムでもセルフ・カヴァーしている。「I'll Never Get Enough of You」は当時のTBS系のテレビ・ドラマ「いつか黄昏の街で」の主題歌となり、特別に日本だけシングル・カットされている、作者はジャンヌ・ナポリ、ゲイリー・ポートノイ、ジュディ・キーの3人で、日本公演の際にはこの曲をリストに入れてくれている。
「Don't Turn Me Away」作:グラハム・ラッセル
「The One That You Love」作:グラハム・ラッセル
「Here I Am (Just When I Thought I Was Over You)」作:ノーマン・サリット
「I'll Never Get Enough of You」作:ジャンヌ・ナポリ、ゲイリー・ポートノイ、ジュディ・キー
Boston Don't Look Back [CD]
ボストンのファースト・アルバム 「幻想飛行」はアメリカンハードロックとメロディアスなボーカルとハーモニーを洗練し、わかりやすいサウンドを考えて創り上げ大ヒットとなった、後のAORや、ジャニー、エイジアなどに影響を与えていく事になっていく布石的なアルバムだった。「幻想飛行」はリーダーのトム・ショルツが一人で作った事実には驚かされる、さらにこのアルバムの独自のギターサウンドのエフェクターも自作している。セカンド・アルバム「Don't Look Back」は新人バンドにしては珍しく2年の間をあけて78年にリリースされた。その理由はやはりバンドを率いている鬼才トム・シュルツがアルバムの最終的なミックス・ダウンに時間をかけたためだった。レコーディング、ミックス・ダウンはボストン郊外にあるトム・シュルツの自宅に作られた大手レコーディング会社にも匹敵するクオリティを備えていたハイダウェイ・スタジオで行われ。ファースト・アルバムと同様に、作詞、作曲、アレンジ、リード・ギター、キーボード、プロデューサー、エンジニア、ミキサー、そしてアルバム・カバーのデザインのコンセプトまでトム・シュルツが一人で手掛けている。全曲さまざまな音源を何重にも重ね、独特の分厚い重厚感を持たせた楽曲群は、ほとんどトム・シュルツ一人の演奏であるにもかかわらず、あたかもビッグバンドであるかのような迫力あるサウンドとなっている。「Don't Look Back」は全米1位の大ヒットを記録するが、ポップなロック・サウンドだったため、産業ロックとの批判も浴びる程のセールスだった。
「Don't Look Back」
「Feelin' Satisfied 」
「A Man I'll Never Be」
「Don't Be Afraid 」
Climax Blues Band Flying The Flag [CD]
クライマックス・ブルース・バンドは、ボーカルとハーモニカ・プレイヤーのコリン・クーパーを中心に、68年にイングランドのスタフォードで結成されたブルース・ロック・バンドである。デビューしてからブルース色の強い楽曲を演奏、しかし全くヒットせず、長い下積みを経験することになる。徐々にブルースからポップ・ロックに音楽性を変化させ76年には、アルバム「Gold plated」に収録されたシングル「Couldn't it right」が全米チャート3位の大ヒットとなり、ようやくスポットライトを浴びるがそれ以降はまたしても大きなヒットに恵まれず、徐々にAOR~ウエストコースト風のサウンドになっていく。アルバム「Flying The Flag」を80年にリリースし、シングル曲「I Love You」が大ヒット、ピュア・レイリー・リーグなどでポップス・ヒットを生んだプロデューサーのジョン・ライアンはヴォーカル&ハーモニーに重点を置き、ゲストにニッキー・ホプキンスが参加していたり、デビッド・キャンベルがアレンジで関わっていたり、バック・コーラスにマキシン&ジュリア・ウォーターズが参加していたりと泥臭いブルースのエッセンスのバンドのイメージを一新し、メロディを重視したAORアルバムを作り上げ成功する。以前からのブルース・ロックの延長線上の作品もバランスよく収められている。
「I Love You」
「Hold On To Your Heart」
「Horizontalized」
「Dance The Night Away」
Andrew Gold What's Wrong With This Picture? [CD]
What's Wrong With This Picture?
- アーティスト: Gold, Andrew
- 出版社/メーカー: Imports
- 発売日: 2011/09/14
- メディア: CD
アンドリュー・ゴールドはカリフォルニア生まれのシンガー・ソングライター。多彩な楽器を使いこなすマルチ・プレイヤー。リンダ・ロンシュタット・バンドの出身で、その声は南カルフォルニアを感じさせる明るさがあり、同じリンダ・ロンシュタット・バンドの出身のイーグルスとはまた違った味わいを出している。80年代に入ると10ccのグレアム・グールドマンとCommon Knowledge(改名しWAXに)というユニットを組んでアルバムを出したり、矢沢永吉のアルバムをプロデュースするなど幅広く活動している。アルバム「 What's Wrong With This Picture?」は76年にリリースされたセカンド・アルバムで、ファースト・アルバムでのマルチ・プレイヤーぶりを封印し、バックの演奏はLA・テキーラ・サーキットの腕利き達に任せ、リンダ・ロンシュタットのプロデューサーとして知られるピーター・アッシャーと一緒に曲作りに精を出し、収録された11曲のうち8曲は自作のナンバーで、その中からキャッチーなメロディの「Lonely Boy」がBillboard Hot 100チャートの7位をマーク、原点であり50,60年代のポップスが大好きというアンドリュー・ゴールドの選曲でマンフレッド・マンの「Do Wah Diddy」バディ・ホリーの「Learning the Game」モーリス・ウィリアムズ&ゾディアックの「Stay」のヒット曲をカヴァーしているのも楽しいアルバムとなっている。バラードからロックンロールまでポップで爽やかなウェスト・コースト・サウンドを堪能できるアルバムである。タイトル通リジャケットが間違い探しになっているのもアンドリュー・ゴールドらしい茶目っ気です。
「Lonely Boy」
「Do Wah Diddy」
「Learning the Game」
「Stay」
The Doobie Brothers What Were Once Vices Are Now Habits [CD]
「ドゥービー天国」(原題:What Were Once Vices Are Now Habits)は74年に発表したドゥービー・ブラザーズ4作目のスタジオ・アルバム。本作からシングル・カットされた「Black Water」が全米1位を獲得した。前作に引き続き、後にバンドの正式メンバーとなるジェフ・バクスターがゲスト参加した。バンドにとって初のトップ5入りを果たし、マイケル・マクドナルド加入時ほどの劇的変化ではないが、彼らに多様性が生まれたのはこのアルバムからで、アルバム一曲目の「Song to See You Through」はサザン・ソウル・スタイルを導入し、「Black Water」では当時フォーク・ブルースに傾倒していたパトリック・シモンズの作ったギター・リフから作ったカントリー調の曲をフューチャーし、チャンキー・ノヴィ&アニーのヴィオラやアカペラ、コーラスも登場させる。ドゥービー・ブラザーズと言えば前作のヒット曲「Long Train Runnin'」や「China Groove」のサザン・ロックでワイルドなギター・サウンドの印象が強いが、本作はその影に埋もれがちだが、そういった単一的なイメージを払拭するかのごとくバラエティに富んだ楽曲が揃っている名作である。
「Song to See You Through」
「Spirit」
「Pursuit on 53rd St.」
「Black Water」
David T. Walker Press On [CD]
デヴィッドT.ウォーカーは16歳からギターを初め、グラントン・グリーンやケニー・バレルを研究し、20歳でニューヨークに出るとジェームス・ブラウンらと仕事をし、リトル・リチャードのバンドを手伝った時はジミ・ヘンドリックスが一緒だった。60年代半ばになるとモータウンの目に止まり、スティーヴィー・ワンダーをはじめ黄金期のアーティストを軒並みサポートする。73年にリリースされたOdeレーベルからの第2弾であり、デヴィッド・Tウォーカーの通算5枚目となるアルバム「Press On」は彼のアルバムの中でもファンにこれぞ名盤と言われ、ファンキーなギター、彼独特のメローなフレーズなど聞くべきところはすべて揃っている。セッション・マンとして脂が乗り、まさに絶頂期の頃で、クルセイダース、クインシー・ジョーンズ、マリーナ・ショウ、ニック・デカロ、ボズ・キャッグスなど彼のスタジオ・ワークスの代表作がうまれている。全10曲中9曲がカヴァーではあるが、デヴィッド・Tウォーカーの主張をしっかり感じ取れる。唯一の書き下ろした「Press On」では珍しくヴォーカルを披露している。ハービー・メイソン(ds)、チャールズ・ラーキー(b)、ボビー・ホール(perc)、そしてジョー・サンプル(key)といったメンバーは、72年から74年までに数多く一緒にセッションをプレイした仲間であることもポイントで、一体感のある素晴らしいグルーブを出して、デヴィッドT.ウォーカーの歌っているようなメロウで愛の溢れる感受性のあるギター・プレイをサポートしている。
「Press On」作曲:David T. Walker
「Superstition」作曲:Stevie Wonder
「Brother, 作曲:Carole King
「If You Let Me」作曲:Frank Wilson
Alan O'Day Appetizers [CD]
日本では山下達郎氏の英語詞の作詞者としてもよく知られる、ウエストコースト・ポップス・アーティストのアラン・オデイ、77年にワーナー・ミュージック・グループは、所属する作家に対して新たなレーベルを設立することにした。そのレーベル初のアーティストとして契約したオデイは、第一弾として「Undercover Angel」を発売する。それは「夜の恋愛活動」について歌われたもので、決して派手ではないが心に響くメロディと歌声で、特にこれと言った宣伝もなく発売、発売後数ヶ月後に全米No.1ヒットとなった。その「Undercover Angel」を収録したセカンド・アルバム「Appetizers」は77年にリリースされた。プロデュースにスティーヴ・バリ、その片腕だったマイケル・オマーティアンを初め、ジェフ・ポーカロ、リー・スクラー、ジェイ・グレイドン、などがバック・ミュージシャンとして参加している、ポップでメロディアスで、どことなく懐かしい曲調がアラン・オデイの特徴で、その何気ないセンスがたまらない。70年代は作曲家として活躍し、代表作は74年にはヘレン・レディに提供した「アンジー・ベイビー」がNo.1ヒット、ライチャス・ブラザーズに提供した「ロックンロール天国」がNo.3ヒットとなっている。80年代からはテレビ音楽を担当するようになり、アニメ番組「マペット・ベイビーズ(Muppet Babies)」で、共作として100曲以上の楽曲を作曲している。90年代には、ナショナルジオグラフィックチャンネルの「Really Wild Animals」の音楽を担当・演奏した。山下達郎のアルバム「FOR YOU」の収録曲「Your Eyes」を作詞、以降山下の英語詞の楽曲をすべて手がけることとなる。
「Undercover Angel」
「Soldier Of Fortune」
「Started Out Dancing, Ended Up Making Love」
「Slot Machine 」
「Caress Me Pretty Music 」
Michael Omartian White Horse [CD]
グラミー賞を受賞したクリストファー・クロスのデビューアルバム「南から来た男」や、ボズ・スキャッグスの傑作の呼び声が高い「ダウン・トゥー・ゼン・レフト 」をはじめ、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ボルトン、ピーター・セテラなどや、あの「ウィ・アー・ザ・ワールド」もクインシー・ジョーンズと共同プロデュースし、ジェイ・グレイドン、デヴィッド・フォスターという「AOR界2大巨頭」に勝るとも劣らないスーパー・プロデューサーであり、自身もキーボード・プレイヤーとして多くの作品に参加してきた人物で、AOR界を代表するグレイト・プロデューサーのマイケル・オマーティアンによる最初のソロ・アルバム「White Horse」は74年にリリースされた。前回に紹介したジェイ・グルスカのアルバムと同時期だった為、ラリー・カールトン(g)、エド・グリーン(dr)、ウィルトン・フェルダー(sax)などを起用し、ファンク、ゴスペル、プログレッシブロックの要素を統合した74年とは思えないサウンドを展開している。彼は当時からスティーブ・バリの片腕として幅広くポップス分野で活躍し、同年のスティーリー・ダンのサード・アルバム「プレッツェル・ロジック」にもキーボード奏者として参加している。
数年先の流行を見越したセンスを発揮したアルバムとも言える。
「Jeremiah」
「Fat City」
「The Orphan」
「White Horse」
Jay Gruska Gruska On Gruska [CD]
ロサンジェルスの凄腕セッション・グループ「マクサス」のキーボード奏者として中心メンバーとしても活躍した、ジェイ・グルスカがバンド結成以前の74年に発表したソロ・デビュー・アルバム「Gruska On Gruska」。彼の作り出す複雑な展開と繊細なメロディはクルセイダースなどに影響を受けたもので、TOTOとスティーリー・ダンの融合とも言われた。「What We've Just Ended」を聴けば、スティーリー・ダンを先取りした、凝ったコード進行が証明している。プロデューサーのマイケル・オマーティアンと二人三脚で作られたサウンドは70年代前半の作品とは思えないほどの新しいサウンドでした。ラリー・カールトン(g)、ディーン・パークス(g)、エド・グリーン(dr)、ウィルトン・フェルダー(sax)マリリン・スコット(b.vo)などが参加して制作された作品で、彼らによって更に曲の輝きをもたらしている。
ちなみにTOTOのスティーヴ・ルカサー(g)は当時高校生だったがジェイ・グルスカのセッションの現場について回り、セッション・ミュージシャンの仕事のイロハを学んだそうである。
「Every Time I Try」
「What We've Just Ended」
「Baby In Us All」
The Stylistics Thank You Baby [CD]
73年にリリースされたサード・アルバム「Rockin' Roll Baby」の収録曲「You Make Me Feel Brand New」は、彼らの代表曲となった。だが、この直後にトム・ベルがプロデュースから外れ、ベルから楽曲が与えられなくなる。黒人コーラス・グループの中でも、甘く洗練されたスウィート・ソウルというスタイルが持ち味だったが、74年以降はヴァン・マッコイやヒューゴ&ルイージのプロデュースにより、ディスコ風の曲中心に路線変更した。「Thank You Baby」はヴァン・マッコイのプロデュースにより75年にリリースされた、6枚目のアルバム。以前にくらべ洗練されたスウィート・ソウル路線から離れサウンドの深みは後退するが、ディスコ風の曲中心に明るさが増し、「Can't Give You Anything (But My Love)」は、ヴァン・マッコイらしいアレンジと、その後スタッフを結成するメンバー達がバックを務めたサウンドは、同年にヒットしたヴァン・マッコイの「The Hustle」と同じサウンドのディスコ・ミュージックである。イギリスではダブル・プラチナを獲得し、日本でもヒットとなった。しかし、本国米国では51位どまりで、他の多くのソウル・コーラス・グループと同様にその後のディスコ・ブームの波を乗り切る事はできなかった。
「Can't Give You Anything (But My Love)」
「I'd Rather Be Hurt By You (Than Be Loved By Somebody Else)」
「Disco Baby」
「Stay」