松原正樹 SNIPER [CD]
「北ウィング」「カナダからの手紙」「中央フリーウェイ」「渚のバルコニー」「長い夜」「微笑み返し」「六本木純情派」「真珠のピアス」「案山子」「さよならの向こう側」「冷たい雨」「瞳はダイアモンド」「ANNIVERSARY」「恋人がサタクロース」「真夜中のドア」チョット上げただけでもこれだけのヒット曲のレコーディングに参加し、メロディアスで艶のあるギター・プレイを聴かせ、日本のポップス界に彩りを与えてくれた、名ギタリスト松原正樹。83年にリリースした「SNIPER」はメロウな作品からハードな作品まで、彼の歌心溢れる多彩な技が聴く事が出来るアルバムである。インストだけでなく、当時AOR界で人気のあったジェシ・バリッシュが作曲とヴォーカルで参加しているが、しかし主役はあくまでも松原のギターで、歌のバックでこそ光るプレイを聴かせてくれている。参加ミュージシャン達は山木 秀夫(ds)、島村 英二(ds)、美久月 千晴(b)、佐藤 準(key)、斉藤 ノブ(per)、ジェイク・H・コンセプション(sax)、ジェシ・バリッシュ(Vo)。
「CAN'T LET GO」
「I REMEMBER」
「GIVE OUR LOVE」
「YOU BABE」
林哲司 Nine Stories~Longtime Romance~ [CD]
自身のサムライ・レーベルからリリースされた林哲司のソロ4作目の「Nine Stories~Longtime Romance~」は86年にリリースされた。当時の林哲司は、杉山清貴&オメガドライブや菊池桃子をはじめとするヒット・メーカーで、書く曲書く曲がヒットをする作曲家で、まさに絶頂期、そんな勢いを反映して、本作は世額された。初の自身のスマッシュ・ヒットとなった「悲しみがいっぱい」をはじめ、林哲司らしい濃密なメロディとメロウな歌声が魅力的な作品となった。作詞家の康珍化の芳醇でリリックな世界もあいまって、タイトル通リに、9つのストーリーを展開し、どの曲も粒ぞろいの彼らしい曲が詰まったアルバムとなった。
「悲しみがいっぱい」
「3人のテーブル」
「左胸の星座 」
「TOUCH ME」
Sadistics [CD]
75年にサディスティック・ミカ・バンド突然の解散により、メンバーとして演奏していた高橋幸宏、高中正義、後藤次利、今井裕によって76年春に結成された。バンドとしてまだやり残した事があった為かサディスティックスという名前を残し、ファースト・アルバム「Sadistics」をリリースする。もともとは高橋幸宏が来るべきソロ・アルバムに想定していた「海賊」というイメージをもとに世界中を駆け回るというコンセフトを基に制作された。ゲスト・ボーカリストとして、タンタン(大空はるみ)、Rajie、桑名晴子、Alex Easley、灰田勝彦などが起用されtが、サディスティックスのメンバーもヴォーカルを取っている。加藤和彦がいなくなっても、その遊び心の精神を確実に引き継いだアルバムでもあった。一方、ミカ・バンド時代から彼らの「世界を見ているアレンジ」に惹かれていたという矢沢永吉のバック・バンドに起用されるほどの演奏力を持っていたバンドであった。
「眠れる海の男たち Eo Vandes~Rio de Janeyo~Soft Sea Sallihg~Koola」
「今頃君は・・・」
「Far away(熱い風)」ゲスト・ボーカリスト:タンタン(大空はるみ)
「The Tokyo Taste」ゲスト・ボーカリスト:Rajie、Alex Easley
松原みき REVUE [CD]
「REVUE(レヴュー)」は松原みき6枚目のオリジナルアルバムで、83年にリリースされた。林哲司、佐藤健といった、ファースト・アルバムからのお馴染みの作家陣に加え、伊藤銀次、スターダスト・レビューの根本要らが、楽曲を提供している。林哲司、鷺巣詩郎をアレンジに迎え、初セルフ・プロデュースにも挑戦した作品で、女の子からレディーへ。時代と共にオトナへの階段を上がったシティ・ポップスの作品となった。デビュー・シングル「真夜中のドア」が素晴らしすぎて、その後、第2の「真夜中のドア」を越える決定打がないのも事実であった。
「ムーンナイトレビュー」作詞:SHOW/作曲:根本要/編曲:鷺巣詩郎
「雨のちハレルヤ」作詞:SHOW/作曲:佐藤健/編曲:林哲司
「シャンデリア・ミラージュ」作詞:田口俊/作曲:伊藤銀次/編曲:林哲司
「もう一度Fall in Love 」作詞:松原みき/作曲:林哲司、加賀谷護/編曲:林哲司
NIAGARA TRIANGLE Vol.1 [CD]
Niagara Triangle Vol.1 30th Anniversary Edition
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 2006/03/21
- メディア: CD
「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は、大瀧詠一が、すでにナイアガラ・レーベルから離脱した伊藤銀次と山下達郎に呼びかけ制作されたオムニバス・アルバムで、76年にリリースされた。「SONGS」「NIAGARA MOON」とナイアガラ・レーベルから連続リリースされた後に、ラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』がスタートし、その最初のゲストとして伊藤銀次、山下達郎を迎えたのきっかけにトライアングル企画を提案する、この企画はアルバム『ティーンエイジ・トライアングル』をヒントにしたものだが、シンガー・ソングライター・プロデューサーの3人が、各々のプロジェクトを持ち寄って集まるというアルバムはそれまで類が無かった。伊藤銀次は、ごまのはえ、ココナッツ・バンク時代の代表曲を、山下達郎はシュガー・ベイブ時代の未発表曲をそれぞれ新しく編集をし、若さ溢れる才能を披露している。大瀧詠一はプロデューサーとミキシングに追われた為か、若干精彩を欠いたが、「ナイアガラ音頭」という新しい方向性を見出している。
「幸せにさよなら」
「ココナツ・ホリデイ'76」
「夜明け前の浜辺」
「FUSSA STRUT Part-1」
「ナイアガラ音頭」
シリア・ポール 夢で逢えたら [CD]
大瀧詠一がモコ・ビーバー・オリーブのシリア・ポールを迎えて制作した、ナイアガラ・レーベル初の女性シンガーのアルバム「夢で逢えたら」は77年にリリースされた。曲の構成は、タイトル曲のメロディアスな大瀧作品と、アメリカン・ポップスのカヴァーを中心に構成され、サウンドも、フィル・スペクター、サウンドの再現を狙って,全編に渡り多様されたエコーが印象的なアルバムとなった。60年代を知る、大瀧詠一らしい作品で、60年代ポップスのオマージュ的な要素も含んでいる。その後のインタビューで、「ロング・ヴァケイション」のリハーサルとなった作品と大瀧詠一自身が語っている。山下達郎はストリングス・アレンジを担当したいる。
「夢で逢えたら」
「ドリーミング・デイ」
「The Very Thought Of You」77年6月20日 THE FIRST NIAGARA TOUR 渋谷公会堂より
おまけで89年のアルバム「Mai」から「今日は星がキレイ」
Moonriders Nouvelles Vagues [CD]
「ヌーヴェル・ヴァーグ」は78年にリリースしたムーンライダーズの4枚目のアルバム。ヌーヴェル・ヴァーグ、言い換えれば、ニュー・ウェイヴになる、ヨーロッパ的な感覚とアメリカン・ロック的な感覚が巧みにブレンドされた秀逸なアレンジにモダンな歌声、個々の楽曲の完成度の高さ、最先端に飛び出そうとしている感覚、などが合わさったアルバムで、シーケンサーを実験的に使った曲や、パンク的な要素を取り入れたり、ジョン・サイモンやミルトン・ナシメントのカヴァーを取り入れたりと、その絶妙な感覚には、言葉も出ない。スケール感を増幅させたエキゾチックなオルタナティヴ・ロック世界が展開された傑作である。
「トラベシア」
「ジャブ・アップ・ファミリー」
「アニメーション・ヒーロー」
「夜の伯爵/The Night Count」
Nobody [CD]
矢沢永吉バンドを経て、相沢行夫(vo, g)、木原敏雄(vo, g)の2人でNOBODYを81年に結成。HOUND DOGの「浮気な、パレット・キャット」アン・ルイスの「六本木心中」吉川晃司の「モニカ」小泉今日子の「風のマジカル」など多数のアーティストに楽曲提供・サウンド・プロデュースも同時に行い、立て続けにヒット曲を量産、大手企業のTV・CMソングも多数手掛け、ヒット・メーカーとして80年代の音楽シーンを席巻した稀代のソングライター・ユニットのNOBODY。ファースト・アルバム「NOBODY」は82年にリリースされ、レコーディングのメンバーはNOBODYだけで、ドラムスはリン・ドラムのLM1を使用、ヴォーカルはすべてダブル・トラックで録られている。さらに、このレコーディングの為にグレッチのテネシアン・カントリー・ジエントルマンのギターを購入し、録音したサウンドは、マージー・ビート(60年代前半にイギリスで勃興したロックンロールのムーブメントおよびそこから確立したジャンル、ビートルズの成功で注目を集め、ブームになったもので、リバプールがマージー川の沿岸都市(マージサイド)だったことから来た)をバック・ボーンにしているサウンドで非常にカッコイイものだった。
「My Road Show」
「Never Say No」
「Connection」
「Oh, Pretty Baby」
The Corrs Forgiven,Not Forgotten [CD]
「Forgiven, Not Forgotten」は、アイルランドのポップ・ロック・グループ、ザ・コアーズのデビュー・スタジオ・アルバムで、95年にアトランティック・レコードから全世界でリリースされた。デヴィッド・フォスターのプロデュースのもと、ケルト・ミュージックのエッセンスとロック/ポップスのプロダクションが絶妙に溶け合ったファースト・アルバムとなった。ザ・コアーズは、緑と音楽の国アイルランドが生み出した、コアー家の4兄妹(兄1人、妹3人)によって編成される、文字どおり「世界最高の兄妹バンド」となり、その後、全世界でのアルバム累計セールスは4,000万枚を超える事となる。このファースト・アルバムでは、アイリッシュ・トラッドの影響の強い曲のインスト・ナンバーを6曲も収録されていて、ポップなメロディを巧みに挿入し、トラッド色と合わせて、実に上手くプロダクションされているのが、特長てきなアルバムでもある。
「Forgiven, Not Forgotten」
「Erin Shore (Instrumental)」
「Heaven Knows」
「Runaway」
XTC Oranges&Lemons [CD]
「オレンジズ・アンド・レモンズ」は、89年にヴァージン・レーベルからリリースされたXTCの9枚目のアルバム。レコーディングはロサンゼルスのオーシャン・ウェイ・レコーディングで行われた。アルバムのタイトルはマザー・グースの「オレンジとレモン」からとられている。 このアルバムから、CDをメインにしたミキシングがなされるようになった。XTCは、ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズといった英米問わず、オールディーズなポップスや、サイケデリック・ロックなどからの幅広い影響をもとに、その活動を通じてポップミュージックのオルタナティヴな可能性を追求した、イギリスのバンドで独特のポップセンスとこだわりに満ちたアレンジを志向しながらポップス・ロックとしてのフォーマットを損なわない大胆なアプローチは、のちのブリットポップ・ムーヴメントにも大きな影響を与えた。何度かのメンバーの加入・脱退がありつつ、ニュー・ウェイヴからポップスへの大胆な音楽性の変化を経てつくられた「オレンジズ・アンド・レモンズ」はアナログ盤では2枚組の大作となった。日本のミュージシャンでは、ムーンライダーズ、カーネーション、スピッツ、L⇔R、POLYSICS、ホフディラン、などに影響を与えている。前々回に紹介した鈴木さえ子のアルバムでは3曲XTCのアンディ・パートリッジがプロデュースをしている。
「Garden Of Earthly Delights」
「Mayor Of Simpleton」
「King For A Day」
「The Loving」