福原美穂 RAINBOW [CD]
「RAINBOW」は、福原美穂のデビュー・アルバム、2009年にリリースされた。福原美穂は、アメリカ人のクォーターで、歌手を志したのは小学校3年生の時にマライア・キャリーを歌った事からだそうで、抜群の歌唱力はマライア・キャリーの影響である事は間違いないようだ。2006年に高校を卒業し、北海道限定のインディーズレーベルの夢チカレコードから、シングル「The Roots」とミニ・アルバム「Step☆Out」を発売し、合計10,000枚を売り上げる。この際撮られたミュージック・ビデオのディレクターは「水曜どうでしょう」などで有名な藤村忠寿が担当した、(このころはHTBの番組でチーム・ナックスのメンバーとドラマだけでなくミュージック・ビデオも作っていた)。2008年にデビュー・シングル「CHANGE」をリリースする。メジャー初のアルバム「RAINBOW」は初登場2位を記録し、3週間連続のベスト10入りを果たす。12曲中10曲を自らが作詞・作曲しているのも見逃せない。
「CHANGE」作詞:福原美穂/作曲:福原美穂、2 SOUL/編曲:2 SOUL
「LOVE 〜winter song〜」作詞:福原美穂/作曲:福原美穂、安原兵衛/編曲:安原兵衛
「雪の光」作詞:福原美穂/作曲:福原美穂、山口寛雄/編曲:皆川真人
「優しい赤」作詞:福原美穂/作曲:川村結花/編曲:安原兵衛
鈴木さえ子 スタジオ・ロマンチスト [CD]
「スタジオ・ロマンチスト」は鈴木さえ子の通算4枚目のアルバム、87年にリリースされた。鈴木 さえ子は、松尾清憲ボーカルのポップス・バンド「シネマ (CINEMA) 」のオリジナル・メンバーとして、鈴木慶一のプロデュースにより80年にメジャーデビュー。シネマ活動停止後は、坂本龍一のバンド「B-2 Units」、立花ハジメのバンド「H」など複数のバンドに並行して参加し、ソロ活動やサポートドラマーとして80年代日本のニュー・ウェイヴ/ポップス・シーンで活躍した。日清チキンラーメン『すぐおいしい、すごくおいしい』の作曲で知られるCM音楽作家でもある。本作はロンドン・レコーディングを経て作り上げた物だが、鈴木慶一の特に80年代のムーンライダースのサウンドに影響を受けたアルバムとなったが、鈴木さえ子のマニアックなブリティッシュ・ロック趣味を反映したゲストが多数参加し、3曲で共同プロデュースを務めたXTCのアンディ・パートリッジに気に入られ、XTCのメンバーに加わらないかと勧誘されたとか?
「HAPPY END」
「YOU'RE MY SPECIAL」
「I WISH IT COULD BE CHRISTMAS EVERYDAY IN THE U.K.」
「TV DINNER」
AB'S AB'S-2 [CD]
岡本敦夫(Dr)・渡辺直樹(EB)という元スペクトラム最強のリズム・セクション、芳野藤丸(元SHOGUN)と松下誠という2大ギタリスト&メロディーメイカー、さらには元パラシュートの安藤芳彦(Key)作詞家でもあるによって結成されたスーパー・バンド、AB'Sの英国ロンドン・レコーディングの2ndアルバム「AB'S-2」は、84年にリリースされた。前作を超えた優れたアルバムというファンの評価も高い作品で、芳野藤丸のシティポップセンスに、見事にマッチした松下誠のプログレ的テイスト。キャッチーなメロディと、フュージョン的なアレンジ、全員がヴォーカルを撮れる為に分厚いコーラスとどこをとっても完成度の高さを誇るAB'S、芳野、松下の両ボーカル&ギターが交互に出入りするアレンジやバンドとしてのバランスも含め、完成度が高い作品に仕上がった。ロンドン録音の「AB'S-2」の流れからファースト・アルバムに収録されていた「DEJA VU」がイギリスで12インチ・シングルとして発売され、UKアルバムチャート100位以内にランクインしている。このあと松下誠はバンドとして音楽性が突き詰める事が出来たのが脱退する。
「Destination」
「Japanese Punkish Girl」
「Morning Dew」
「One Night In Moscow」
モダンチョキチョキズ ローリング・ドドイツ [CD]
モダンチョキチョキズは、89年3月に前身であるもんもんクラブの矢倉邦晃を中心に結成された大阪のエンターテインメントバンド。90年頃にソニー・ミュージックの小山にスカウトされ、92年にメジャー・デビュー。キャッチコピーは「アジア一の娯楽バンド」。92年にファースト・アルバム「ローリング・ドドイツ」がリリースされた。メインボーカルは濱田マリ、今ではすっかり女優となったが、この時はまだ20代前半で、ツーテールの髪型にワンピース服のスタイルで、関西風のコテコテの色合いが強く、パワー溢れるパフォーマンスをみせていた。バンドとしては「音の百貨店」を自称、コミックソング中心の楽曲であるが、ロック・ファンクから歌謡曲・ドドンパまで多岐に及ぶジャンルを難なくこなし、さらにライブでは関西風のコテコテの色合いが強いコントやパフォーマンスを披露していた。
「新・オバケのQ太郎」
「主夫の生活」
「あたまはクラクラおめめはグルグル」
おまけでサード・アルバムの曲なんですけど、モダンチョキチョキズで一番好きな曲「自転車に乗って、」
PINK 光の子 [CD]
「光の子」は、PINKの2枚目のスタジオ・アルバム。86年にMOON RECORDSよりリリースされた。80年代を駆け抜けた先鋭的音楽集団PINK、ビブラトーンズに在籍した福岡ユタカ(Vo)、矢壁アツノブ(ds)、ホッピー神山(key)を中心として前身バンドおPINK兄弟が結成される。当初メンバーは流動的だったが、東京ブラボーの岡野ハジメ(b)、爆風銃のスティーブ衛藤(per),ショコラータの渋谷ヒデヒロ(g)、が加わったとともにメンバーも固定され、83年にデビュー、その音楽性は「無国籍サウンド」と形容された。個人的に特にベースの岡野ハジメのファンで、彼のデビューしたバンド、スペース・サーカス(プログレ、フュージョンバンド)を良く聴いていました、偶然にも姉の同級生でもあったので、より親近感もあり、ライブも見に行っていました、PINKに入った岡野さん、良いバンドで活躍していると当時思ったのを思い出します。
「日蝕譚 - SOLAR ECLIPSE -」
「HIDING FACE」
「DON'T STOP PASSENGERS」
「LUCCIA」
おまけで、スペース・サーカスの「Ali Baba」
吉田美奈子 Dark Crystal [CD]
「ダーク・クリスタル」は、89年に発売された吉田美奈子通算11作目のスタジオ・アルバム。アルバムとしては3年ぶりとなるが、しかも、創美企画という既成のレコード会社とは異なるメーカーからのファースト・リリースという本作。これまで多くのセッション・ミュージシャンをバックに歌ってきたが、本作ではほぼ全てを彼女自身が手がけている。本人曰く、サンドペーパーみたいな粗っぽいところを外に向けて出したと表現する様に硬質なサウンドが独自のインパクトのあるグルーブを生んだ作品である。打ち込みサウンドに作風が変わっても、基本的に吉田美奈子は何も変わっていない、多重録音のコーラスワークとボーカルが中心に組み立てられているのも変わっていないが、彼女が自身の音楽性を追求したアルバムである事は間違いない。
「Gifted」
「Crystal」
「Heat Wave」
「凪」
長谷川真奈 Stories [CD]
スコットランド系アメリカ人の母と日本人の父を持つ21歳ハーフ、長谷川真奈。94年にシングル「真冬のファウンテン」でデビュー。セカンド・アルバム「Stories」は95年にリリースされた。楽曲提供に杉真理、かの香織らが参加し、杉真理の作曲で初期の竹内まりやの名曲「Hold On」を選曲し、オールディズ調の曲を上手く90年代風に洗練されたアレンジしている。大人と少女の境で揺れる女心を中心としたラヴソングば、80年前後の竹内まりやがキャンパスライフを謳歌する女子大生をモチーフにしたポップミュージックの再来でありながら、90年代らしさも兼ね備えた、新鮮な長谷川の魅力が何とも上手く引き出されている。この後、長谷川真奈 は杉真理や村田和人らによえう「ウインター・ギフト・ポップ」にも参加している。
「Hold On」
「イエスタデイズは通り雨」
「銀河飛行」
「真冬のファウンテン」
飯島真理 Coquettish Blue [CD]
飯島真理が、デビュー以前から憧れの存在だった山下達郎が所属するムーン・レコードへ移籍となった第一弾となったアルバム「コェティッシュ・ブルー」は87年にリリースされた。山下達郎に誘われ彼のムーン・レコードへ移籍しての第一弾であり、ライナーノーツにはスペシャル・サンクスの欄に山下達郎の名前もあがっている。今回は山下達郎や吉田美奈子などが初期の頃のスローバラードやミディアム・テンポの曲から影響を受けたであろう曲があり、飯島真理がさらに大人に進化した作品となった。山下達郎プロデュースのプランを断り、全曲本人の編曲・プロデュースによる派手ではないが、師玉のラブソング集となった。
「Baby,Please Me」
I feel blue」
「ガイ・ベネットの肖像」
「元気でね」
フリッパーズギター ヘッド博士の世界塔 [CD]
フリッパーズ・ギターは、小山田圭吾と井上由紀子の2人で結成、後に吉田秀作、荒川康伸、加入、最後に小沢健二が入り、5人編成となったバンドで当初はネオGSの枠で捉えられていた。「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」は、91年に発売されたフリッパーズ・ギター通算3作目にして最後のスタジオ・アルバム。アシッド・ジャズ、マンチェスターブームをはじめとするUKインディー・シーンの動きとシンクロするかのように、退廃的で快楽的な空気感が詰まったラストアルバムである。プライマル・スクリームやストーン・ローゼズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどの同時代のUKサウンドを意識した音作り(古い人にはやはり、ビートルズの音作りを感じてしまう)、暗号的かつ退廃的な歌詞、ほぼ全曲にサンプリングが多く用いられていることなど、前2作とは変わった試みを行っている。アルバムのタイトルはモンキーズが出演した映画『HEAD』に由来するという。ありとあらゆる過去の音源を巧みに構築したポップ・ワールドは、リリース直後から多くのプレスに絶賛された、本アルバムの発売後に行われた全国ツアーの最中にフリッパーズ・ギターは突如解散した。制作当時の最新の洋楽の流行を反映させて作られたこの作品は、後のJ-POPの流れを大きく変える切っ掛けとなった。
「ドルフィン・ソング」
「グルーヴ・チューブ」
「ゴーイング・ゼロ」
「世界塔よ永遠に」
太田裕美 ELEGANCE [CD]
「エレガンス」は、78年に発表された太田裕美の8枚目のアルバム。名盤「こけてぃっしゅ」を彷彿させる内容は、デビューからのブレーンである作詞家の松本隆と作曲家の筒美京平が、1年ぶりに全曲を手掛けている、これは「こけてぃっしゅ」も同様であるが、当時、太田裕美は23歳で、その年齢を考え、今回は、フォーク・ソングぽさから抜け出し、より大人な女性を表現し、哀愁、嫉妬、背徳、などの傷心風景が描かれている。タイトル通リ、洗練された内容は、当時の歌謡曲やニューミュージックを越えてシティ・ポップの名作となった。太田裕美作品における松本隆の詞世界の総括を行っている。後の松本隆による松田聖子の世界感は本作にも通じていると言われている。
「クリスタル・ムーン」作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平
「ピッツア・ハウス22時」作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
「煉瓦荘」作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
「Summer End Samba」作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄