Aerosmith Rocks [CD]
「ロックス」は、76年にリリースされたエアロスミスの4作目となるスタジオ・アルバムで70年代のエアロスミスにとって最大のヒット作である。彼らが名実共にアメリカを代表するトップグループへのし上がることになった作品であるのと、アメリカの究極のガレージバンドとして再認識した作品で、その後のヘヴィメタルなどに影響を及ぼした作品である。挑むようなヴォーカルスタイルのスティーヴン・タイラーの絞り出すようなシャウトが炸裂し、ギタリストのジョー・ペリーを軸に据え、ジョーと共にツイン・ギターを勤めるブラッド・ウィットフォードのギター・サウンドの完成度は高く、ベーシストのトム・ハミルトンとドラマーのジョーイ・クレイマーの分厚いリズム隊も素晴らしい、最強な布陣の5人だった。レコーディングが行われたのは、マサチューセッツ州にあるウェアハウス・スタジオで録音されたガレージ・サウンドは素晴らしかった。今までエアロスミスの楽曲は、ボーカルのスティーヴン・タイラー、もしくはギタリストのジョー・ペリーの作曲によるものが殆どであるがこの「ロックス」はセカンド・ギタリストのブラッド・ウィットフォード、そしてベースのトム・ハミルトンも楽曲製作に加わっている、プロデューサーのジャック・ダグラスはこの時の様子を語っている、「ロックス」は、トムとブラッドが多くのインプットを詰め込んだアルバムだ。これはエアロスミスにとって、大きな出来事なんだよ。うるさくてハードなロックン・ロールでもあり、”エアロスミスとはどんなバンドか”が表現されている。ニルヴァーナ、モトリー・クルー、メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズなどに大きな影響を与えた、純粋なロック・サウンドを詰め込んだ名盤である。
「Back In The Saddle」作詞:スティーヴン・タイラー 作曲:ジョー・ペリー
「Last Child」作詞:スティーヴン・タイラー 作曲:ブラッド・ウィットフォード
「Rats In The Cellar」作詞:スティーヴン・タイラー 作曲:ジョー・ペリー
「Sick As A Dog」作詞:スティーヴン・タイラー 作曲:トム・ハミルトン
James Gang Thirds [CD]
「サーズ」は、イーグルスで活躍したギタリスト、ジョー・ウォルシュが率いたハード・ロック・トリオ・バンドの「ジェームズ・ギャング」のサード・アルバムで、タイトルは三作目…ではなく「三人」の意味です、71年にリリースされました。メンバー全員が楽曲を提供、ギター・トリオ・バンドとしてのトータル性に重きが置かれた作品となった。イーグルスを手掛けたビル・シムジクとバンドの共同プロデュースで、ギター・ヴォーカルのジョー・ウォルシュをフィーチャーした最後のスタジオ・アルバムでした。70年の春、ザ・フーの米国ツアーの前座として出演し、ザ・フーのギタリストのピートタウンゼントは彼らに非常に感銘を受け、この後のイギリスの秋のツアーにもジェームズ・ギャングを起用し、「ジェームズ・ギャング」は人気を得ていきます。この後ずっと、ピート・タウンゼントとジョー・ウォルシュはギタリストとして友情をずっと育みます。全盛期には、グランドファンク・レイルロード、キンクス、ハンブルパイ、スリードッグナイト、レッド・ツェッペリンなどのアーティストともステージを共有しました。その後、ジョー・ウォルシュは75年にビル・シムジクの提案でギタリスト兼キーボーディストとしてイーグルスに加わり、ジョー・ウォルシュとドン・フェルダーのによる「ホテルカリフォルニア」の有名なギターソロを生み出します。
「Walk Away」
「Things I Could Be」
「Midnight Man」
おまけでジェームズ・ギャングの代表曲「Funk #49」の映像、少し前に紹介したトミー・ボーリンがギターを弾いています。
Grand Funk Railroad Caught in the Act [CD]
「 Caught in the Act(邦題グランド・ファンク・ツアー ’75 )」はグランド・ファンク・レイルロードの2枚目のライブ・アルバム。75年のツアーでライブ録音された、まだ3人編成だった為か荒々しさが押し出された前作のライブ・アルバムに比べ、キーボードのクレイグ・フロストを正式メンバーに加え、より円熟味を増したアメリカン・ハード・ロックの真髄を聴く事が出来るアルバム。マーク・ファーナー(ボーカル、ギター、ハープ、オルガン)ドン・ブリューワー (ボーカル, ドラムス, パーカッション)クレイグ・フロスト(キーボード、パーカッション、バックグラウンドボーカル)メル・シャッハー(ベース、バックグラウンドボーカル)のパフォーマンスは一貫してエネルギッシュで、69年のデビュー・アルバム「On Time」から74年の「All The Girls In The World Beware」までのグランド・ファンク・レイルロードの代表曲が選曲され、ライブアルバムにして、ベストアルバムとも言える。「ハートブレイカー」や、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングによって書かれた曲のカヴァー「ロコモーション」や「アメリカン・バンド」等のヒット・ナンバーを満載し、さらにローリング・ストーンズの71年のヒット曲「Gimme Shelter」のカヴァーなども収録している。しかしリリース後間もなく76年に解散してしまう。、
「Footstompin' Music」
「We're An American Band」
「The Loco-Motion」
「Heartbreaker」
「Gimme Shelter」
Tommy Bolin Teaser [CD]
トミー・ボーリンは、73年のビリー・コブハムのアルバム「スペクトラム (Spectrum)」に参加し高い評価を得る、その後にジェイムス・ギャングの初代ギタリスト、ジョー・ウォルシュの推薦により参加。74年にジェイムス・ギャングを脱退した後、セッション活動の傍ら、自身初のソロ・アルバムである「ティーザー (Teaser)」の製作を開始し75年にリリースされた。参加ミュージシャンにはボビー・バーグ、スタンリー・シェルダン、デイヴィッド・フォスター、ジェフ・ポーカロ、フィル・コリンズ、ヤン・ハマー、グレン・ヒューズ、デイヴィッド・サンボーン、ナラダ・マイケル・ウォルデン等、後年音楽シーンで活躍するメンバーが名を連ねている。ギターとヴォーカルを担当し、ハードロック、ブルースロック、ジャズ、レゲエ、ラテン音楽にまたがる内容は、音楽評論家達から賞賛を受けたが、この時トミー・ボーリンはディープ・パープルにリッチー・ブラックモアの代わりに加入したばかりで、ディープ・パープルのアルバム「Come Taste the Band」と併せてリリースされた為にソロ・アルバムを宣伝することができなかった。このアルバムを聴くと、トミー・ボーリンが優れたミュージシャンだった事がわかる、76年7月にディープ・パープルは解散し、この頃麻薬常習者であった彼の身体異常があり手と指の麻痺によってギターが弾けなくなり、ディープ・パープルを解散に追いやった下手くそギタリストの烙印を押されてしまったり、さらに76年12月にジェフ・ベックのツアーの前座として参加していた時に麻薬の過剰摂取 で死亡してしまう為、ジャズとロックとの融合の第一人者の座をジェフ・ベックに奪われた男とか「悲運のギタリスト」として呼ばれている。方向性が違うディープ・パープルに入るべきでは無かった天才ギタリスト。
「The Grind」
「Dreamer」
「Savannah Woman」
「People, People」
おまけでビリーコブハムのアルバム「Spectrum」から「Stratus」ジェフ・ベックがギター・インストに目覚めたのはこの作品に刺激を受けたからだとか。
Wishbone Ash Tthere's The Rub [CD]
「Tthere's The Rub(永遠の不安)」はウィッシュボーン・アッシュが74年にに発表した5作目のスタジオ・アルバム。オリジナル・メンバーでギタリストのテッド・ターナーがバンドを脱退し、新しいギタリストのローリー・ワイズフィールドを後任として迎えた最初のアルバム。今まで彼ら自身がプロデュースをしていたが、B.B.キング、ジェイムス・ギャング、ジョー・ウォルシュ、イーグルス等との仕事で知られるビル・シムジクがプロデューサーに起用された為かサウンドがヘヴィーになった。有名なクラプトンのアルバム「461オーシャン・ブルーヴァード」が録音されたクライテリア・スタジオで制作されたサウンドは、新境地を切り開き、イギリスのグループのウィッシュボーン・アッシュにしては明るくレイド・バックしたムードで、マンネリを打ち破り、テッド・ターナーが抜けた穴をローリー・ワイズフィールドのアメリカン・カントリー・ロックの音楽性を備えたプレイは無くてはならない新しい要素だったが、相変わらず美しいツイン・ギターと哀愁を帯びたメロディーも健在であった。メンバーでリード・ヴォーカルとベースのマーティン・ターナーによれば、ビル・シムジクは「ウィッシュボーン・アッシュのギターとイーグルスのボーカルがあれば、私は史上最高のヒット・レコードを作れる」と語っており、それが後にイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」に繋がったという。
「Silver Shoes」
「Hometown」
「Lady Jay」
Ron Wood I've Got My Own Album to Do [CD]
「 I've Got My Own Album to Do(俺と仲間)」はロン・ウッドが74年に発表した、ソロ名義では初のスタジオ・アルバム。フェイセズのロッド・スチュワートとイアン・マクレガンに加えて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、ミック・ジャガー、ミック・テイラーもレコーディングに参加した。ミック・ジャガーとロン・ウッドのデュエット「I Can Feel the Fire」で幕を明ける本作、ジョージ・ハリスンとの共作「Far East Man」はジョージ・ハリスンのアルバム『ダーク・ホース』にも収録された、ロッド・スチュワートとロン・ウッドのデュエット「Take a Look at the Guy」、キース・リチャーズ、ミック・ジャガーの共作を提供した曲「Act Together」などを収録、レコーディングの2ヶ月間キース・リチャーズとロン・ウッドのコンビネーションは良さは音楽的にもクリエイティビティを完全に共有していて、これがきっかけでローリン・グストーンズに入る事になる。リズム・セクションにはドラムのアンディ・ニューマークとベースのウィリ・ウィークスの信じられない組み合わせで、重要なブリティッシュ・ミュージシャンのほとんどが入れ替わり立ち替わりレコーディングを見に来た、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトンなどで、この後にこの二人はジョージ・ハリスンのアメリカに同行など、UKのミュージシャンの間で最もホットなリズム・セクションとなる。キース・リチャーズとミック・ジャガーはウィリー・ウィークスのプレイに心からまいっていて、ビル・ワイマンがストーンズを辞めた時、当然ウィリ・ウィークスが呼ばれると仲間内で思っていたほどで、ダリル・ジョーンズが選ばれたのはミステリーだったと言う。
「I Can Feel the Fire」
「Far East Man」
「Take a Look at the Guy」
「Act Together」
The Rolling Stones Black And Blue [CD]
「ブラック・アンド・ブルー」はギターのミック・テイラー脱退後、ギターのロン・ウッドが初めて参加したアルバムで、スワンプ・ロックから離れ、ソリッドかつストレートなロックへと転換、洗練されたニューソウルの影響が強く、そしてアルバム全体に渡ってキーボードのビリー・プレストンの大きな貢献が認められる。ロン・ウッドは75年のツアーから参加しているが、当時はまだフェイセズが活動しており、あくまでサポートメンバーという扱いだった。ウッドが正式にストーンズのメンバーとなったのはフェイセズ解散後の1976年2月である。ロン・ウッドが本作で参加したのは8曲中5曲だが、このうちギターで参加したのは2曲のみである。ミック・ジャガーの裏声を活かしたバラードの名曲「Fool to Cry(愚か者の涙)」の歌詞の中に、幼い娘が父親に「なぜ泣くの?」と聞く描写があるが、実際にこの曲はジャガーと当時の妻のビアンカ・ペレス・モラ・マシアスとの間に生まれた娘ジェイドがまだ幼かった頃に実在した話から作られた曲である、有名なエピソードとして、この曲をライブで演奏していたキース・リチャーズはミック・ジャガーの裏声があまりにも気持ち良くて寝てしまったエピソードがある。
「Hot Stuff」
「Hey Negrita」
「Fool To Cry 」
「Crazy Mama」
大瀧詠一 [CD]
【オリジナルジャケットデザイン・スマホサイズステッカー付】 大滝詠一 大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition 【 通常盤 】(CD)
- アーティスト: 大滝詠一
- 出版社/メーカー: ノーブランド品
- 発売日: 2022/11/25
- メディア: CD
はっぴいえんど活動中の71年にソロ活動を開始し、アルバム「大瀧詠一」を72年に発表。当初はシングル盤6枚をリリースし、それらを集めてアルバム化したいと考えていたが、シングル6枚構想が崩れた時点で「オムニバス」というアルバム・タイトルも消滅し、このファースト・アルバムも名前だけの『大瀧詠一』となった。松本隆がドラムを叩く「指切り」その後のナイアガラ・サウンドを予感させる「ウララカ」松本隆が作詞した「水彩画の町」「乱れ髪」は、まだはっぴいえんどらしい作風で淡い青の世界。この後は当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、ごまのはえ、布谷文夫など若手のプロデュースを始め、74年には自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作・原盤管理などをこなすプライベートレーベル「ナイアガラ・レーベル」を設立する。
大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Editionは大滝詠一が伝説のバンド”はっぴいえんど”在籍中の1972年11月25日に発表した1stソロ・アルバムの発売50周年を記念して、ちょうど50年後の2022年11月25日に記念盤をリリース!! オリジナル・マスターテープを最新マスタリング。更に、アルバム収録曲のシングル・バージョンやインスト・バージョンなどに加えて、未発表音源などの貴重なコンテンツが多数収録される予定。収録楽曲情報や封入される豪華ブックレットなどの詳細は今後発表される。
「指切り」
「ウララカ」
「水彩画の町」
「乱れ髪」
おまけで SUGAR BABE の「指切り」ライブ・ヴァージョン、カッコイイです。
MASH [CD]
日本を代表するラテンジャズ・ピアニスト松岡直也、そんな彼が当時のトップ・ミュージシャンを集め結成したロック・バンド「MASH」81年にリリースされた、唯一のアルバム「MASH」。メンバーは松岡直也(piano)村田有美 (vocal)青山徹 (guitar)富倉安生 (bass)清水信之 (keyboards)村上"ポンタ"秀一 (drums)ペッカー (Percussion)。松岡直也としては唯一のロック・フィールドの異色作だった。村田有美、青山徹、ペッカーによるボーカルものが5曲と、インストが3曲という構成。村田有美のパワフルなボーカルと、青山徹のロック・ギターをフューチャーし、TOTO風のAORぽいサウンドに加え村上"ポンタ"秀一のドラム・ワークも冴え、全体にノリの良いグルーブのアルバムで理屈抜きで楽しいアルバムしたが、やはり松岡直也といえばラテンのイメージが強かった為でしょうね、短命に終わってしまいます。
全然話は変わるのですが、72年にヒットした青い三角定規の「太陽がくれた季節」の編曲をしたのは松岡直也さんですよ。
「POREUS」作詞:児島由美 作曲:松岡直也
「LOVE」作詞:藤公之介 作曲:松岡直也
「I SAY TO YOU」作詞:Pecker 作曲:松岡直也
「SEE YOU AGAIN」作曲:清水信之
Tom Tom Club [CD]
ニューヨークのポスト・パンク・シーンから登場したトーキング・ヘッズのベースで紅一点のティナ・ウェイマスとドラムのクリス・フランツ、トーキング・ヘッズのリズム隊であると同時に、ふたりは夫婦でもある。クリス・フランツは妻のティナ・ウェイマスをボーカルにしたプロジェクトを始めたいというアイディアから始まり、元ウェイラーズのキーボードのタイロン・ダウニー、フランク・ザッパ一門の門下生でキング・クリムゾンのギタリストのエイドリアン・ブリュー、ジャマイカのパーカッション奏者のスティッキーなどが集まりユニットとなったのがトム・トム・クラブである。トム・トム・クラブが81年にリリースしたファースト・アルバム「Tom Tom Club(おしゃべり魔女)」は、トーキング・ヘッズがアフリカ音楽に傾倒していたように、トム・トム・クラブのメンバーもブラック・ミュージックに偏っていきます。サイドユニットバンドだった為か、本家のトーキング・ヘッズのような緊張感や緻密さは無いかもしれませんが、集まった13人がハバマのナッソーで録音されたサウンドは混然一体となって大騒ぎしながら作ってしまったと思われる楽しい雰囲気で、普遍的な楽しさを伝えてくれます。
「Wordy Rappinghood」
「Genius Of Love」
「Under The Boardwalk」