Monnette Sudler Sextet Brighter Days For You [CD]
バークリー出身の女性ジャズ・ギタリスト、モネット・サドラー。彼女が初めてジャズに触れたのは、大叔父のピアノ演奏を聴いたときだった。15歳のとき、フィラデルフィアのウォートン・センターでギターのレッスンを受ける。ドラムとピアノを演奏することができ、作曲、編曲、歌、詩の執筆も行う。キャリア初期には、ビブラフォン奏者のカーン・ジャマールと「サウンズ・オブ・リベレーション」で活動した。そのキャリアの中で、ケニー・バロン、フレディ・ハバード、ジョセフ・ジャーマン、、セシル・マクビー、グローヴァー・ワシントン・Jr、などとセッションをしている。ソリッドなギターを弾きまくり、ウェス・モンゴメリーのフレージングにジミ・ヘンドリックスのカッティングやワウワウを使ってのトーキング・ギターにソニー・シャーロックみたいな60年代のフリー・ジャズの要素などが混ざったギターを弾いている。モネット・サドラーがスティープル・チェイスに残した傑作「ブライター・デイズ・フォー・ユー」は77年にリリースされたアルバム、パーカッシヴなリズムとマリンバがスピリチュアルに響くなか、ギターが軽やかに疾走しています。ローラ・ニーロを彷彿とさせるモネット・サドラーのヴォーカルが感動的なバラード・ナンバー「Moments of Love」も素晴らしい。
「Moments of Love」
「To Be Exposed」
「Natural Accurrance」
「Congo」
Fleetwood (ファンタスティック・マック) [CD]
フリートウッド・マックは67年イギリスで結成、当初はブルースバンドだった、70年代に入るとメンバーを変えながら音楽性をアメリカ的に変え、男女の五人組となり爆発的な成功を収めた。ミック・フリートウッド(d)、ジョン・マクヴィー(b)そしてクリスティン・マクヴィー(vo, k)というラインナップに、ボブ・ウェルチ(g)がバンドを去った後、74年にリンジーバッキンガム(g, vo)とスティーヴィーニックス(vo)が加入、男女のポップ・ロック・グループと変わったフリートウッド・マックは、75年にリリースしたアルバム「Fleetwood Mac」ファンの間では通称「The White Album」としても知られるこのアルバムは、彼らにとってまさに「黄金時代の幕開け」となり、クリスティン・マクヴィー、リンジー・バッキンガム、スティーヴィー・ニックスの歌声がそれぞれの魅力を持つ作品となり、バンドにとって画期的に変わったものであった。68年のデビュー作に続き、再び自らのバンド名をタイトルに冠したアルバムで、発売後じわじわと売れ続け、発売後一年以上たって全米No. 1を獲得、TOP 100に一年以上チャート・インし続けたアルバムとなった。
「Rhiannon」
「Over My Head」
「Say You Love Me」
「Landslide」
Blondie Parallel Lines [CD]
ガールズ・バンド「スティレットーズ」に所属していたデボラ・ハリーと、バックバンドにいたクリス・シュタインが中心となって結成された「ブロンディ」。ブロンディのサード・アルバム「プラスチックレターズ」は、78年にリリースされた。シングルカットされた「Heart Of Glass」が米国、イギリスなど6か国で1位を記録。ハリーはセックス・シンボルとしても大いに注目されるようになる。ポスト・パンク時代の頂点の一つとして評されるアルバムではあったが、78年6月にプロデューサーのマイク・チャップマンとセッションを始めた時、その輝かしい成功が当然保証されていた訳ではなかった。ブロンディはパンクの枠を超え、すでに世界的に認められていた存在ではあったが、母国アメリカでの成功はまだ手に入れてなかった。マイク・チャップマンはスウィートやスージー・クアトロなどのグラム時代のヒット曲をプロデュースしてきた人物で、パンクのエネルギーを保ちつつ、夢中にさせるポップス性に加え、ディスコを取り入れ異彩を放った「Heart Of Glass」のコケティッシュな魅力も加わり、楽曲の良さを引き立てる事に成功し、アメリカでも彼らの人気を決定づけたアルバムとなった。キング・クリムゾンのギタリスト兼リーダーであるロバート・フリップが参加した「Fade Away And Radiate」も印象的で、デボラ・ハリーの卓越したヴォーカリストとしての引き出しの多さを聴く事が出来る。
「Heart Of Glass」
「Sunday Girl」
「Fade Away And Radiate」
「I'm Gonna Love You Too」
Marc Jordan Mannquin [CD]
マーク・ジョーダンはニューヨークのブルックリン生まれだが、カナダ人であり子供の頃からトロントで育ったシンガー・ソングライター。ソングライターとしてはロッド・スチュワートのヒット曲「Rhythm Of Heart」(ジョン・カペックとの共作)をはじめダイアナ・ロスなど一流アーティストに楽曲を提供してきた。74年にデビューし数枚のシングルを出すが鳴かず飛ばず。78年に本作「マネキン」で本格的なデビューを果たした。このファースト・アルバム「マネキン」はスティリー・ダンの一連のアルバムのプロデュースを手掛けたことで知られるゲイリー・カッツとエンジニアのロジャー・ニコルズが手掛けているアルバムで、その関係からドナルド・フェイゲンがキーボードで参加、さらにラリー・カールトン(g)チャック・レイニー(b)などスティリー・ダンのアルバムでお馴染みのミュージシャン達が参加し、他にもデヴィッド・フォスターやTOTOのメンバー、J.D. サウザー、ティモシー B.シュミットなどウェスト・コースト・サウンドを牽引したメンバーも参加した。スティリー・ダンほど緻密で複雑ではないが、マーク・ジョーダンのメロディーメイカーとしてのとしての才能が遺憾なく発揮された事がわかる作品である。セカンド・アルバム「Blue Desert」は前にも紹介したが、ジェイ・グレイドン(g)の力を借りてAORの名作として高い人気と評価を得ているが、このファースト・アルバムもセカンド・アルバムほど派手さはないがじっくり聞かせる佳作のアルバムである。
「Survival」
「Jungle Choir」
「Marina Del Rey」
「Only Fools」
「One Step Ahead Of The Blues」
Carole Bayer Sager [CD]
高校生の時に共作で作詞・作曲した「グルーヴィー・カインド・オブ・ラヴ」が、マインドベンダーズによって大ヒットし、後に結婚するバート・バカラックとのコンビで名曲を次々に生みだすことになるキャロル・ベイヤー・セイガー。ちょっぴりハスキーな声に、スマートなインテリジェンスが漂う若き才女、キャロル・ベイヤー・セイガーのデビュー・アルバム「Carole Bayer Sager(私自身)」は77年にリリースされた。親友のメリサ・マンチェスターとの共作曲「Come In From The Rain」や「Home To Myself」、ベット・ミドラーとのデュエット曲「Shy As A Violet」などMOR的な魅力の楽曲、ベッド・ミドラーとブルース・ロバーツと作った「You're Moving out Today」はオーストラリアで一位になった。マーヴィン・ハムリッシュ、ブルース・ロバーツ、ピーター・アレン、リー・リトナー、ニッキー・ホプキンス他、豪華な顔ぶれが参加したアルバム。本人はシンガーと言うよりは作詞家としてどれだけ聴き手に伝わるか、そんな作品を作りたかったと言っている。
「Come in from the Rain」
「Don't Wish Too Hard」
「You're Moving out Today」
「Shy as a Violet」
おまけで前にも紹介した松原みきの「真夜中のドア」の元ネタ、デヴィッド・フォスターと共作した「恋をしましょう(It's The Falling In Love)」はキャロル・ベイヤー・セイガーの次のアルバム「 ...TOO」に収録されている。
Melissa Manchester Melissa [CD]
メリサ・マンチェスターは、クラシックの教育を受け、十代後半から曲作りを始め、大学時代はポール・サイモンに作曲の手解きを受け、その後、ベッド・ミドラーとバニー・マニロウに認められ、バック・シンガーになりクライヴ・デイヴィスとリチャード・ペリーの売り出しで人気が出る。山下達郎がデュエット相手に指名するほど、歌唱力は折り紙付き。アルバム「メリッサ」は、75年にアリスタレコードレーベルからリリースされたメリサ・マンチェスターの3枚目のアルバム。リチャード・ペリーの配下のヴィニ・ポンシアがプロデュースをし、全米6位の出世曲「Midnight Blue」を含む4曲は、親友の作詞家キャロル・ベイヤー・セイガーとの共作、プロデューサーのヴィニ・ポンシアやエイドリアン・アンダーソンとのコラボ作品も収録、さらにスティーヴィー・ワンダーやランディ・ニューマンの楽曲も取り上げ、自らの指向をのぞかせている。レコーディング・メンバーには後に映画音楽の巨匠となるジェームズ・ニュートン・ハワード がピアノを弾いている。
「We've Got Time」作:マンチェスター、キャロル・ベイヤー・セイガー
「Midnight Blue 」作:マンチェスター、キャロル・ベイヤー・セイガー
「Love Havin' You Around」作:スティーヴィー・ワンダー、シリータ・ライト
「Just Too Many People」作:マンチェスター、ヴィニ・ポンシア
John Simon John Simon's Album [CD]
ジョン・サイモンは、コンポーザー、アレンジャー、シンガー、セッション・ミュージシャン、プロデューサーとしての方が知名度が高くサイモン&ガーファンクル、ザ・バンド、ジャニス・ジョプリンなど様々な大物たちを手掛けている。日本でも佐野元春 and The Hobo King Bandのプロデュースをしている。「ジョン・サイモンズ・アルバム」はジョン・サイモンが70年に発表したファースト・アルバム。ザ・バンドのセカンド・アルバム「ザ・バンド」のプロデュースを務めたあと、サイモンは自身のファースト・アルバムの制作にとりかかる。ザ・バンドにジョン・ホールが参加したニューヨーク録音、レオン・ラッセルやデラニー・ブラムレット、サライス・ファーヤーが参加したロサンゼルス録音、さらにスワンパーズとのマッスル・ジョーンズなどでセッションが組まれた。ジャズやR&Bをベースに洗練されたアレンジと素朴なヴォーカルのコントラストが絶妙、リード・ボーカルならびにピアノとマンドラとホーンの演奏はサイモンが務め、プロデュースも自分で行った。
「The Elves' Song (aka the Song of the Elves)」
「Tannenbaum」
「Davey's on the Road Again」
「Motorcycle Man」
Robert Lamm Skinny Boy [CD]
シカゴの結成メンバーで、シカゴの多くのヒット曲を生んできた、キーボードプレーヤー&ヴォーカリストのロバート・ラムのデビューソロアルバム「Skinny Boy」は74年にリリースされました。シカゴは当時人気のピークにあり、ナンバーワン・アルバムの6枚目であるシカゴVIIをリリースしていました。シカゴのバンド・メンバーによる最初のソロ活動で、シカゴのバンド活動と並行して制作され、シカゴからはテリー・キャスのみが参加しました。両親がジャズのレコードをたくさん持っていたことがロバート・ラムに音楽的な影響を与え、高校時代はレイ・チャールズに憧れ、シカゴのルーズベルト大学で音楽の授業に参加した事をきっかけに、美術から音楽へ転向しました。「長い夜」「サタデイ・イン・ザ・パーク」などのヒット曲を書いたロバート・ラムですが、このアルバムでは知的でセンス溢れる内向的な作品「Love Song」など、シカゴとはまた違う一面を表現していて、ロバート・ラムが幅広いジャンルにアンテナを張っていたことがわかるアルバムとなりました。残念ながらプロモーションはほとんどまたはまったくなかったようで、あまり知られていないアルバムです。ポインター・シスターズ もコーラスとして参加しています。
「Love Song」
「Temporary Jones」
「Crazy Way to Spend a Year」
「Fireplace and Ivy」
Dave Mason Alone Together [CD]
「アローン・トゥギャザー」は、70年にリリースされた元トラフィックメンバーのデイブ・メイソンによるデビュー・ソロ・アルバムです。デイブ・メイソンとトミー・リピューマの共同プロデュースでブルー・サム・レコードの第一作として作られた。ギタリストとしての方が有名なデイブ・メイソンですが、本人は楽曲志向が強く、ギターの上手いシンガー・ソングライターととらえた方がいいだろう。スワンプ・ロックのデラニー&ボニーとの交流はエリック・クラプトンより早く、英国勢とスワンプ・ロックを結びつけた功績は大きい。アルバムにはデラニー&ボニー、レオン・ラッセル、ジム・カパルディ、リタ・クーリッジ、カール・ラドル、ジム・ゴードンらが参加し、エンジニアはアル・シュミットという顔ぶれとなり、この潮流は新しいレーベルだからこそ出来た事だった。米南部特有の土臭く粘っこいフィーリングにイギリス的なニュアンスが融合されたサウンドは後のシーンに大きな影響を与えた。デラニー&ボニーが全米20位になったアコースティック・テイストの「Only You Know And I Know」をカヴァーし米国で42位に達し、商業的にも成功した。ブルー・サム・レコードはその後、ベン・シドラン、マーク=アーモンド、ジャズ・クルセイダースなどロックやポップスのメインストリートを意識的に迂回する、通好みのアーティストを揃えたレーベルとなっていく。
「World In Changes」
「Only You Know And I Know」
「As Sad And As Deep As You」
「Look At Me Look At You」
Orleans [CD]
オーリアンズは、72年にウッドストック、ニューヨーク界隈の様々なバンドを通じて交流を重ねた、ギタリストで作曲家のジョン・ホール、ラリー・ホッペン&ラリー・ランス、ドラマーのウェルズ・ケリー、を中心に結成される。73年、ABCレコードのダンヒル・レーベルからセルフタイトルのデビュー・アルバム「Orleans」をリリースした。南部のアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオにてレコーディング、現地のリズム・セクションのバリー・ベケット&ロジャー・ホーキンスがプロデュースした。名前の由来でもある南部のR&Bをルーツしたサウンドは、ザ・バンドよりより爽快な初期のドゥービー・ブラザースみたいなノリと、まだ東海岸に本拠地を置いていた為かファンキーな路線が融合し、さらにナチュラルなハーモニーも加わった作品となった。ジャニス・ジョプリンとチャカ・カーンがカヴァーした「Half Moon」はジョン・ホールの楽曲のクオリティーの高さを感じられる、のちに名曲「Dance With Me」を作曲するジョン・ホールの作曲力の片鱗を聴く事が出来る。
「Half Moon (Seven Song)」
「Tongue-Tied」
「Mountain」
「It All Comes Back Again」
おまけでチャカ・カーン&ルーファスの「Half Moon」
おまけでジャニス・ジョプリンの「Half Moon」