Chic C'est Chic [CD]
ナイル・ロジャースは、15歳の時にグリニッジ・ビレッジを拠点に音楽活動を開始する。アポロ・シアターでの音楽監督を経て、1977年に音楽仲間であったベーシスト、バーナード・エドワーズと共に、ファンクバンド、Chicを結成。ここでは、ソングライターやギタリストとして活躍し、洗練された楽曲と斬新で力強いリズムは評判を呼び、当時隆盛であったディスコの影響も受け、幅広い層から支持を受ける人気バンドとなった。 1978年、アルバム『C'est Chic (エレガンス・シック)』からの第1弾シングル「"Le Freak" (おしゃれフリーク)」がBillboard Hot 100で1位を獲得し、当時としてはアトランティック史上最大のヒット曲となった。1980年代からは、バーナードとコンビを組み、デボラ・ハリー(ブロンディ)をはじめとして、プロデューサーとしての活動を開始。メイン・プロデューサーを務めたマドンナのアルバム『ライク・ア・ヴァージン』、デヴィッド・ボウイのアルバム『レッツ・ダンス』がそれぞれ世界中で大ヒットを記録し、以降、ダイアナ・ロス、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー等、数々の大物アーティストを手がけ、1980年代の音楽シーンを席巻する名プロデューサーとなった。
映像は、Chicの「"Le Freak" (おしゃれフリーク)」です。
David Bowie Let's Dance [CD]
デビット・ボウイ、グラムロックの先駆者として台頭し、カウンターカルチャーの旗手としての地位を確立することになった。 ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得る。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティストとして知られている。
1980年代はナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム『レッツ・ダンス』はキャリア最大のヒット・アルバムとなり、ファン層を広げた。2017年、遺作となった作品『ブラックスター(★)』が、グラミー賞で最多の5部門を獲得した。
高校時代、先輩デヴィッド・ボウイとピーター・フランプトンは、親しくなってジャム・セッションに興じていたという二人は、それからずっとの付き合い。
1987年<Glass Spider Tour>このツアーの西ベルリンでのライブは、ベルリン壁の前での野外ライブで、音を東ベルリンに聞こえるようにスピーカーを向けようとデヴィッド・ボウイが発案し、東側の若者たちが聴くことに、これがベルリンの壁が崩壊する最初の原因の一つと言われている。
そのツアーの映像で、「Let's Dance」で、ギターはもちろんピーター・フランプトン。
ピーター・フランプトン フランプトン・カムズ・アライヴ [CD]
ロンドン出身のロック・ミュージシャン、ピーター・フランプトンが1975年に録音・1976年に発表したライブ・アルバム。オリジナルはLPで2枚組、全世界で1,000万枚以上を売り上げる驚異的な大ヒット作となる。マイケル・ジャクソンのスリラーがでるまで、売り上げ枚数がトップだったモンスターアルバム。
1966年、アイドルバンドのザ・ハードアイドル扱いに嫌気がさしたフランプトンは、スモール・フェイセスのスティーヴ・マリオット達とハンブル・パイを結成する、アルバム毎にブルージーでソウルフルなマリオット色が濃くなり、アコースティックなサウンドに惹かれ始めていたフランプトンは、徐々に居場所を失っていく。 1972年に、ハンブル・パイを円満に脱退し、ギタリストとしてジョージ・ハリスンなどのアルバムに参加して腕を磨く。 1974年から精力的に草の根全米ツアーを始め、地道にファンを増やしていく。1976年、この努力が実を結び、先の全米ツアーを収録した2枚組のライブ・アルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ」出すことになる。ちなみに、デビッド・ボウイと同じ高校で後輩、80年代のアルバムやツアーにギタリストとして参加している。
映像は、当時の人気がわかる「Show Me The Way」。
Teddy Pendergrass TEDDY [CD]
テディ・ペンダーグラス、1970年代のブラック・ミュージック界で一世を風靡するフィラデルフィア・ソウルのトップスターで、同時代のソウル・シンガーであるマーヴィン・ゲイやアル・グリーンと共にセックス・シンボル的な存在でもあった。 もともとはザ・キャデラックのドラマーでだったが、ほどなくハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツに合流し、彼をリードボーカルに据え、既存のコーラス・グループザ・デルズを踏襲したスタイルで人気を博した。 1979年発売の3rdアルバム『テディ』に収録されている「Come Go With Me」が大ヒット、ロマンチックな良い曲です。日本においては「Do Me」が、ザ・ドリフターズが出演していたTBSのバラエティ番組「8時だョ!全員集合」内におけるコント「ヒゲダンス」で用いられていたため特に有名になった。
ちょっと遅くなりましたが、志村けんさんを追悼して、「Do Me」ヒゲダンスの元歌です。
チャック・マンジョーネ フィール・ソー・グッド [CD]
前回の「Superstition」でトランペットを吹いていた、チャック・マンジョーネは、1970年代に本格派のジャズ・トランペッター(ディジー・ガレスピーに可愛がられ、ディジーの紹介でアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加)から、フリューゲルホーン奏者に転向し、フュージョン方面に音楽性を転向した。ラテン・テイストをふんだんに取り入れたメロディアスで心地よいナンバーを次々と発表し、このアルバムで爆発的なヒットを記録した。ポップスのアルバム・チャート第2位、タイトル曲のシングルも第4位までヒット・チャートを駆けのぼった。ジャズでは異例の大ブレイクだった。 アルバムは200万枚以上も売れ彼の名声を決定づけた、主要楽器をトランペットから、よりマイルドな音色のフリューゲルホーンに持ちかえたのも功を奏したようだ。
では、1977年の大ヒット曲で、心に優しいメロディ、リリカルな演奏が時代の空気にマッチしていた「Feel So Good」を聴いてほしいい。
Stevie Wonder TALKING BOOK [CD]
1972年に発表された「TALKING BOOK」、スティーヴィー・ワンダーの15作目のオリジナル・アルバムで、「Superstition」が最優秀男性R&Bボーカル賞と最優秀R&B楽曲賞、「You Are The Sunshine Of My Life」が最優秀男性ポップ・ボーカル賞を受賞。1970年に、モータウンから自作のプロデュース権を獲得し、音楽出版会社「タウラス・プロダクション」を設立。自身の新たな音楽を模索していた時、当時開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーに感銘を受ける。以後、スティーヴィーはシンセサイザーを駆使し、ほとんどの楽器を自分で演奏してアルバムを作るスタイルを確立して、マルチプレイヤーとなっていく。その後の1973年、友人の運転する車に同乗した際に交通事故に遭う。この事故の後遺症で一時味覚と嗅覚を失うが、その後のリハビリが功を奏し、ほぼ完全に回復、その為か、後遺症の間、音楽だけに没頭、より多作家となり、また作品の質に厳しいことでも有名で、今までお蔵入りした曲は数千曲にのぼるという。「Superstition」はベック・ボガート & アピス -のカヴァーで有名だが、スティーヴィー・レイ・ヴォーン - アルバム『ライヴアライヴ』にも収録、ヒットしている。
映像は「Superstition」1972年に子供向けテレビ番組『セサミ・ストリート』で、この曲を演奏した際には、チャック・マンジョーネがトランペットで参加した。「Superstition」の映像で、この演奏が若々しくて勢いがあって一番良い!!
Grover Washinton jr. Winelight [CD]
ビル・ウィザースが、3月30日、心疾患の合併症により西部カリフォルニア州ロサンゼルスで死去、81歳だったそうです、ご冥福をお祈りします。
マイケル・ジャクソンがまだ子供だった頃にカバーした「AIN’T NO SUNSHINE(邦題『消えゆく太陽』)」などもありますが、やっぱり彼の代表曲の一つ「Just the Two of Us」(邦題:『クリスタルの恋人たち』)を紹介します。
グローヴァー・ワシントン・ジュニア (ジャズ・フュージョン界を代表するサックス奏者で、スムーズ・ジャズの父としても知られている)が1980年に発表したアルバム『Winelight』に収録された「Just the Two of Us」(邦題:『クリスタルの恋人たち』)は、ビル・ウィザース、ウィリアム・サルター、ラルフ・マクドナルドによる作詞・作曲の共作で、1981年にシングルカット、尚アルバムバージョンはスティールパンとテナーサックスによるソロを含んでいるため、シングルカットよりも演奏時間が長くなっている。 Billboard Hot 100最高2位、グラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞する。彼はあくまでゲスト・ヴォーカルであるが、この曲により新境地を開拓した。
ビル・ウィザース、グラミー賞を3度獲得している素晴らしい歌声で、「Just the Two of Us」アルバムバージョンです。
Jermaine Jackson Let's Get Serious [CD]
ジャーメイン・ジャクソン、ジャクソン・ファミリーの三男で弟にマイケル・ジャクソン、妹にジャネット・ジャクソンがいる。ジャクソン5のアマチュア時代の初期にはリードシンガーだった。幼かったマイケルもジャーメインを真似することでシンガーとしての一歩を踏み出している。モータウンからデビューした後も、マイケルと人気を二分した。マイケルも当時は仕事仲間としては最も好きな相手であったと言われる。事実、ジャーメインがジャクソン5を離脱した後はマイケルはソロ活動を活発化させている。基本的にはセルフプロデュースでソロアルバムをコンスタントに発表する。このアルバムで、「レッツ・ゲット・シリアス」「ホエア・アー・ユー・ナウ」「キープ・ユア・ラヴ・フォー・ミー」の3曲では、スティーヴィー・ワンダーがプロデュースと演奏で参加し、ジャーメインのソロ・アルバムとしてはセールス的に大きな成功を収めた作品で『ビルボード』R&Bアルバム・チャートで自身初のトップ10入りを果たし、R&Bアルバム・チャートでは1位を獲得した。エレガントなヴォイスとベーシストとしての才能を併せ持ち、音楽シーンに大きな足跡を残してきた。
「ホエア・アー・ユー・ナウ」エレガントな声がスティーヴィー・ワンダーの曲に良く合う。
渡辺香津美 TO CHI KA [CD]
ヴィブラフォン奏者のマイク・マイニエリが、東京での渡辺香津美のライブを見て感銘を受けたことからプロデューサーに、当然ニューヨークでの長期滞在で、前回のアリスタ・オール・スターズのメンバーを含む、ニューヨークの凄腕ミュージシャンと作りあげたアルバムとなる。豪華なミュージシャンにひるむことなく、むしろニューヨークの凄腕ミュージシャンも圧倒するギタープレイで、ニューヨークのミュージシャンに「惑星一のギタリストが日本から来た」と言わせたプレイだった。もちろん共演者たちも、最高のプレイで応え熱い演奏を繰り広げている。このアルバムの収録曲「Unicorn」が日立のオーディオ・ブランド「Lo-D」のCM曲に使われ、人気を不動のものとする。「TOCHIKA」は当時渡辺香津美が飼っていた柴犬の名前。
「Unicorn」のマイク・マイニエリのヴィブラフォンのソロもカッコイイ。
ブルー・モントルー アリスタ・オール・スターズ [CD]
前回に続き、1978年スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルからで、アリスタ・レコードからの、アリスタ・オールスターズのユニットからリリースされたライブ・アルバム「ブルー・モントルー」。メンバーは、マイケル・ブレッカー(ts)ランディ・ブレッカー(tp)トニー・レビン(b)マイク・マイニエリ(vib)スティーブ・カーン(g)スティーブ・ジョーダン(dr)ウォーレン・バンハート(p)、彼らのリーダーは、マイク・マイニエリ(vib)で、このアルバムのプロデュースもつとめている。緻密で迫力のある演奏は、フェスティバルの最大の目玉となった、好評だった為、「ブルー・モントルーⅡ」(ゲストでラリー・コリエル(g)やエディー・ゴメス(b)も参加している)も発売し、完全な形で、このステージを再現することになる。
映像は、「Blue Montreux(Blue Moon)」マイク・マイニエリの作曲で、このセッションのために書き下ろした曲で、アルプスの美しい風景をイメージした曲、個々のソロも素晴らしく、ブレッカー・ブラザースのホーン・アンサンブルも美しい。