Patrice Rushen Watch Out [CD]
パトリース・ラッシェンは70年代中盤にジャン=リュック・ポンティやスタンリー・タレンタインのバックメンバーに参加し、その後リー・リトナーやデイヴ・グルーシン等のロサンゼルス勢のメンバーと関わりを持ち、女性版のハーヴィー・ハンコックと言われたピアニストでした。アルバム「Watch Out」はキュートなシンガーとしてのパトリス・ラッシェンの魅力が詰まったアルバムで、87年にリリースされました。遊び心のあるアップビートなタイトル・トラックのシングル「Watch Out」は、R&Bチャートのトップ10ヒットとなりました。ジェリー・ナイトとアーロン・ジグマンのプロデュースによるアルバムで、前作同様、時代に即した打ち込みやシンセ・サウンドの導入を引き続き行っているが、パトリス・ラッシェンも大きくサウンドに関わっていて、そのアレンジは彼女のセンスの良さを感じる事が出来る、不思議とオーバー・プロデュースの感はほとんど無く、瑞々しさと新鮮さの融合加減が程よい内容となっている。
「Watch Out」
「All My Love」
「Somewhere」
「Tender Lovin'」
Elton John Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy [CD]
Captain Fantastic & Brown Dirt Cowboy
- アーティスト: John, Elton
- 出版社/メーカー: Island
- 発売日: 2004/11/09
- メディア: CD
「キャプテン・ファンタスティック・アンド・ザ・ブラウン・ダート・カウボーイ」はエルトン・ジョンの9枚目のスタジオ・アルバムで、75年にリリースされた。全米アルバム・チャート初登場1位という偉業を史上初めて達成したアルバムでもある。キャプテン・ファンタスティックとはエルトン・ジョン自身のことで、ブラウン・ダート・カウボーイとはエルトンの創作パートナーである作詞家のバーニー・トーヴィンのことで、、本作はふたりのが世に出るまでの紆余曲折を描いたという側面もあるコンセプト・アルバムでもある。普通に聞き流せばポップな娯楽性のあるアルバムだが、歌詞の内容はかなり赤裸々である。そして、このアルバムはエルトン・ジョン・バンドのオリジナル・ラインナップ(ギタリストのデイビー・ジョンストン、ベーシストのディー・マーレイ、ドラマーのナイジェル・オルソン)による70年代最後のアルバムとなった。
「Someone Saved My Life Tonight」
「Writing」
「Curtains」
「Philadelphia Freedom」
Frank Zappa Zapp In New York [CD]
76年にニューヨークのライブハウス、ボトムラインでレコーディングされた、フランク・ザッパの2枚組の「Zapp In New York」77年半ばにリリースされる予定だったが、78年3月まで一般には発売されなかった。このアルバムには、さまざまなロックとジャズロックのトラックが収録され、何と言ってもこのライブの目玉となったのがブレッカー・ブラザースとの共演だった。フランク・ザッパのバンドのメンバーのドラマーのテリー・ボッツィオ、ベーシストのパトリック・オハーン、マリンバのルース・アンダーウッド、キーボード奏者のエディ・ジョブソンらの演奏も素晴らしく、フランク・ザッパ・バンドの最高の演奏の一つと言われている。技術的に複雑なロックのファンは、きっと気に入るはずで、フランク・ザッパのトレードマークであるユーモアを随所に散りばめている。ブレッカー・ブラザースとドラマーのテリー・ボッツィオの共演はこれが初めてで、これがきっかけで、その後にブレッカー・ブラザースの最高傑作「ヘヴィ・メタル・ビー・バップ」へと繋がっていく。
「The Torture Never Stops」
「The Black Page #2 」
「Honey, Don't You Want A Man Like Me?」
「Montana」
Janis Ian Miracle Row [CD]
「ミラクル・ロウ」は、ジャニス・イアンの9枚目のスタジオ・アルバムで、77年にリリースされた。前の3枚のアルバムとは対照的に、ニューヨークでレコーディングされ、当時のツアー・バンドでレコーディングされ、前作のアルバム「Aftertones」に続き、イアンは母親とスパニッシュ・ハーレムで多くの時間を過ごし、そのヴァイブスをニュー・アルバムで表現することを目指した。ジャニス・イアンは、とりわけ日本とヨーロッパでは絶大な人気を誇り、76年のシングル「Love is Blind(恋は盲目)」がTBSドラマ「グッドバイ・ママ」に使われたこともあって、日本のオリコン洋楽シングルチャートで76年9月13日付から8週連続1位を獲得した。本作でも「Take to the Sky」がドラマ「岸辺のアルバム」の主題歌となり、その後CMにもに起用され幅広い層に親しまれた。残念ながら本国アメリカではアルバムはヒットしなかったが、日本ではシングル曲の「Will You Dance?」がヒットしました。
「Take to the Sky」
「Will You Dance?」
「Let Me Be Lonely」
おまけで、前作のアルバム「Aftertones」に収録された名曲「Love is Blind(恋は盲目)」
George Duke Dream On [CD]
「ドリーム・オン」は、アメリカのキーボーディスト兼プロデューサーのジョージ・デュークの16枚目のスタジオ・アルバム、82年にリリースされた。ジョージ・デュークは70年代中盤からソロ活動が始まりブラジル音楽からディスコなどのダンサンブルな路線を歩んでいく、ジャズ・フュージョンにとどまることなく、ジャンルを超えていくタイプのミュージシャンらしく、前作はスタンリー・クラークとプロジェクトを組み成功、二人のプロジェクトよりさらにジョージ・デュークのポップな歌を広げたのが本作である。ジョージ・デュークはもちろんのこと、名ドラマーであるレオン・チャンクラーを核とするリズム・セクションも抜群の切れ味。都会的な洗練されたグルーヴで、不滅のディスコ・ヒット「シャイン・オン」を含むアルバムで、強力なファンクからメロウなバラードまで、いっさい捨て曲なしの作品。
「Shine On」
「You」
「I Will Always Be Your Friend」
「Someday」
Ramsey Lewis Sun Goddess [CD]
「Sun Goddess(太陽の女神)」は、74年にリリースした、ラムゼイ・ルイスのアルバム、このアルバムはビルボード・トップ・ソウル・アルバム・チャートで1位、ビルボード・トップ・ポップ・アルバム・チャートで12位を記録しました。ラムゼイ・ルイスは50年代からジャズ・ピアニストとして活躍、60年代にはEW&Fの創設者でリーダーのモーリス・ホワイトがドラマーとなり、ラムゼイ・ルイス・トリオを結成し、スタンダードなジャズを抜け、ポップでファンキーな作風となり、新しい音楽の方向性を見出しました。このアルバムでモーリス・ホワイトと再会し、特にアルバム・タイトルである「Sun Goddess」はモーリス・ホワイトが作曲とプロデュースをし、モーリス・ホワイトを含むフィリップ・ベイリー、ヴァーダイン・ホワイトらEW&Fの主要メンバーが参加し、レコーディングされました。EW&Fのアルバム「Gratitude(灼熱の狂宴)」でも「Sun Goddess」は収録されていますが、ラムゼイ・ルイスのヴァージョンほうが先で、アレンジもほぼ同じであることからラムゼイ・ルイスがEW&Fに与えた影響は大きい事がわかります。「Hot Dawgit」もモーリス・ホワイトのプロデュース、残りの5曲はマイルス・デイビスのプロデューサーデであるテオ・マセロが担当。「Living for the City」はスティーヴィー・ワンダーの曲であるが原曲の雰囲気を残しつつラムゼイ・ルイスらしいアレンジとなり、好トラックとなりました。
「Sun Goddess」
「Hot Dawgit」
「Living for the City」
「Gemini Rising」
Nick DeCaro Private Ocean [CD]
AORの原点ともいうべき74年にリリースされた名盤「イタリアン・グラフィティ」から17年、特別企画アルバム「LOVE STORM」は山下達郎の楽曲のカバーで、ニック・デカロを慕っていた山下達郎も選曲に参加しデカロ向きの曲を選んだり、未発表曲まで準備したアルバムに次ぐ新レコーディングの「プライベート・オーシャン」はニック・デカロの最後のアルバムとなり、91年にリリースされた。ニック・デカロは、アレンジャー、プロデューサーとして、数多くのアーティストの楽曲製作の現場に立ち会い大きな足跡を残しました。チョット名前を挙げるとヘレン・レディ、ジェームス・テイラー、ドゥビー・ブラザースなど数え切れないレコーディングに参加している。その美しいピアノ・メロディに優しく甘い歌声で綴るニック・デカロ、ヴォーカル・スキルは高くないが、独特の味わい深い歌声が心地良い。参加ミュージシャンはロビンソン・タカ(ds)J・ハスリップ、A・ラボリエル(b)N・ラーセン(syn)M・ランドウ、D・パークス(g)A・アクーニャ(per)などです。
「Nevertheless」
「Saying Hello」
「Well Of Loneliness」
「Up All Night」
Queen The Miracle [CD]
「ザ・ミラクル」は、クイーンの13枚目のアルバム、89年にリリースされた。4人の顔が合成されているジャケットも当時話題を呼び、バラバラになりかけていた4人が再び一体となっていることを表現していると言われている。前作とは異なり、この頃のクイーンはスタジオでセッションしながら曲を構築していく方法が多くなり、全曲がメンバー全員の共作とクレジットされている、フレディ・マーキュリーはこのアルバムの製作中に、自分がHIVに感染していることをメンバーに告白したと言われていて、切羽詰まった状態の中、クイーンはバンドとして結束を示したアルバムとなった。次のアルバムは、フレディ・マーキュリーが生きていた時に制作された最後のアルバムとなった「イニュエンドウ」で感動的ではあるがクイーンというライブ・バンドの本質からは少し外れた言われている。「ザ・ミラクル」はクイーンにおける「アビー・ロード」と言える作品で、傑作アルバムと言われている。
「Party」
「I Want It All 」
「Was It All Worth It」
大橋純子&美乃家セントラル・ステイション RAINBOW [CD]
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大橋純子さんが9日、亡くなった、73歳だった。ショックをうけました、残念です。
大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義でリリースしたファースト・アルバム「RAINBOW」77年にリリースされた。バックバンドに美乃家セントラル・ステイションを迎え、バンドとして活動を始める。当時の大橋純子の理想はバンドの中でのリード・ヴァーカルだったそうで、バンドと一緒に活動がしたい、そんな中、73年から74年にかけて「はっぴいえんど」の一派とは別に新しい音楽理念の元に集まった音楽集団だった「オレンジ」のメンバーの佐藤健、林哲司、増尾元章(兄は世界的ジャズ・ギタリスト増尾好秋)見砂和照、土屋昌巳がそのまま美乃家セントラル・ステイションの中心メンバーとなります、ベースの福田郁次郎はその後さだまさしのバックバンド亀山社中のメンバーとなり、有名な「関白宣言」は福田郁次郎のアレンジでした。バンドのメンンバーは作曲、編曲としても大橋純子の音楽クリエイティブ・スタッフとして参加することになります。作曲、作詞、編曲等もすべてメンバー自身(大橋も含め)の手で全てをサウンド・クリエートする当時としては珍しい形をとっていたグループでした。グラハム・セントラル・ステーションを受けて土屋昌巳がバンド名を付けたそうですが、当時道玄坂にあった電気屋ミノヤをもじって付けたそうです。シングル曲の「Simple Love」はハーヴィー・メイソンのインストゥルメンタルの曲からアイデアをもらったそうです。
「Simple Love」詞:松本隆、作・編曲:佐藤健
「Natural Foods」詞・作・編曲:土屋昌巳
「Rainy Saturday & Coffee Break」詞:竜真知子、作・編曲:林哲司
「Mister Smile」詞:松本隆、作・編曲:佐藤健
「Lovin Spoonful」詞:松本隆、作・編曲:佐藤健
Clarence Reid Running Water [CD]
Running Water (Japanese Atlantic Soul & R&B Range) by Clarence Reid
- アーティスト: Clarence Reid
- 出版社/メーカー: Rhino
- メディア: CD
マイアミ・ソウルといえば外せないクラレンス・リード。あのベティ・ライトの特大ヒット曲「Clean Up Woman」の仕掛け人でもある。異色のサザン・ソウラーで、69年には「Nobody But You Babe」というR&B7位のヒット曲を持っている。アルバム「Running Water」は73年にリリースされた。泥臭いセミヌードのジャケットがアイザック・ヘイズを思わせる、実際にヘイズ調の曲があったり、他もアイズリー・ブラザーズ調、ジャクソン・ファイブ調、グラディス・ナイト調までが聴けるアルバムで、彼ならではのレイドバックの歌の感覚ははまさにオリジナル。プロデュースはスティーヴ・アレイモとウィリー・クラーク、タイトル曲の「Running Water」にはリトル・ビーヴァーがアレンジ協力するなど、隠し味もたっぷりの快作だ。
「New York City」
「A Real Woman」
「Love Who You Can」
「Like Running Water」