なぎら健壱 葛飾にバッタを見た [CD]
なぎら 健壱は東京都中央区銀座の生まれで小学校3年のときに葛飾区金町に転居、下町を愛するシンガーソングライターである。高石友也に感化され、五つの赤い風船の西岡たかしや、高田渡に影響を受ける。アングラフォークに目覚め72年にアルバム「万年床」でアルバム・デビューする。なぎら健壱の名前を全国に轟かせたのが74年にリリースしたシングル「悲惨な戦い」だった。フィクションにもかかわらず実話と聴き手は錯覚してしまうほどよく出来ており、日本相撲協会が「国技をなめているのか」とカンカンに怒り、この影響か不明ではあるが、放送禁止歌になり、ラジオやテレビから締め出された。この曲が入ったアルバム「葛飾にバッタを見た」は10年以上のたった87年になって再リリースされることとなる。カントリー・サウンドに下町情緒が溶け合うサウンドに、抱腹絶倒の「悲惨な戦い」は、なぎら健壱の代表的歌唱スタイルであったトーキング・スタイルの曲で、初期はもっとメロディがあったが、時を経るごとに歌詞・内容が変わり、トーキングとなっていったらしい。
「悲惨な戦い」
「葛飾にバッタを見た」
「昭和の銀次」
おまけで「いっぽんでもニンジン」日本で一番売れた曲の「およげたいやきくん」のB面で、どうせ売れないと思い、なぎら健壱は数万円で歌唱を受けてしまい、莫大な印税が入らず後悔する事となる曲。