竹内まりや University Street [CD]
79年にリリースした、竹内まりやのセカンド・アルバム「University Street」竹内まりや作詞が3曲、作曲は2曲で、それ以外は他の作家に委ねられているとはいうものの、それが山下達郎・大貫妙子・加藤和彦・杉真理・林哲司・梅垣達志といった陣営なのだから間違いない。バックのミュージシャンも山下達郎、杉真理、芳野藤丸、後藤次利、村上秀一、吉田美奈子、土岐英史、小原礼、来日中だったリンダ・ロンシュタットのレコーディング・メンバーだったワディ・ワクテル、ラス・カンケル、そして前作に続きセンチメンタル・シティ・ロマンスの面々等豪華な面子が参加している。卒業記念として作られたが、本人が留年してしまい早めの卒業記念アルバムとなったが、ヒット・ナンバー「ドリーム・オブ・ユー」カーラ・ボノフのカヴァー「Isn't It Always Love」などのアメリカン・ポップスを吸収した彼女のセンスと、彼女を取り巻く強力なバックの熱気が伝わるアルバムとなっている。
偶然このアルバムが出た後のライブを見る機会があり、前回のEPOで話が出た、清水信之がバンマスをしていたバンド「ファースト・ブランド」がバックを務めていたのを思い出し、その当時の映像がないかと探し見つけた映像が「J-BOY」です。当時の竹内まりやのサウンドを好サポートした印象があり好感を持ったのを思い出しました。
「ブルー・ホライズン」作詞:大貫妙子 作曲・編曲:山下達郎
「J-BOY」作詞・作曲:杉真理
「涙のワンサイデッド・ラブ」作詞・作曲:竹内まりや 編曲:山下達郎
EPO う・わ・さ・に・な・り・た・い [CD]
EPOのサードアルバム「う・わ・さ・に・な・り・た・い 」は83年にリリースされた。
レイ・パーカーJrが書いたマキシン・ナイチンゲールのカヴァーをレイ・パーカーJr&レイディオ本人達の演奏をバックに歌った「Girl in Me」から始まるというアルバムで、EPO らしいハツラツ・モード全開の弾けるようなポップなアルバムとなっている。同じ高校の先輩、清水信之によるアレンジが光るアルバムでもあります。EPOと清水信之のコンビがこの後も続き、翌年にはこの二人の最高傑作「う、ふ、ふ、ふ、」(作詞作曲:EPO、編曲:清水信之)も作られています。ちなみにセッションギタリストの佐橋佳幸も同じ高校で、EPOのファースト・アルバムでデビューしています。渡辺美里も同じ高校でこの4人はそれぞれがいろいろな場面で共演しています。余談が多くなりましたが、前作の「Goodies」でポップスの魅力を完成させ、このアルバムでも作詞・メロディーラインのセンスの良さは抜群で全曲粒揃いの充実した内容のアルバムです、ハツラツ・モードだけでなく自作のバラード「雨のめぐり逢い」も良い出来栄えです。
「Girl in Me」作曲はレイ・パーカーJr、作詞はEPO、アレンジは清水信之
「う・わ・さ・に・な・り・た・い 」作詞・作曲はEPO、アレンジは大村憲司
「雨のめぐり逢い」作詞・作曲はEPO、アレンジは清水信之
「JOEPO ~ DOWN TOWN」ラジオ・ショウ仕立てのからの「DOWN TOWN」デビュー曲をここでも再びやってます。アカペラからのDown Town!もちろんシュガーベイブのカバーですね。アレンジは清水信之。
須藤薫 Amazing Toys [CD]
82年リリースされた須藤薫のサード・アルバム「Amazing Toys」は、杉真理を筆頭に、林哲司、来生たかお、松任谷正隆などの豪華作家陣を迎えてのアルバムとなり、上質なポップスを作り上げたアルバムとなっている。特に過去の2作「Chef's Special」「Paradise Tour」で際立っていたのが杉真理の作品、このアルバム「Amazing Toys」でもさらに素晴らしい作品を生み出している、アナログ盤A面の6曲を全てが杉真理の作曲で、その中でもレイン・ソングの名曲「Rainy Day Hello」大瀧詠一から直接譲り受けたサウンドの「涙のステップ」はこのアルバムの中でもハイライトとなる秀作で、松任谷正隆が編曲をしている。アナログ盤B面も素晴らしい作品が満載、60’ポップス・テイストの林哲司、作曲の「恋の雨音」、田口俊作曲で大瀧詠一のナイアガラを思わすエコー・サウンドの「緑のスタジアム」など本当に良い楽曲に恵まれたアルバムで、ポップスシンガーとしての須藤薫を一番表現しているアルバム、その心地良さと清涼感は素晴らしい。
「Rainy Day Hello」
「緑のスタジアム」
「涙のステップ」
「恋の雨音」
杉真理 Stargazer [CD]
杉真理が83年に発表した通算6枚目のアルバム「Stargazer」、前年の82年3月に「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」(大滝詠一・佐野元春・杉真理)に参加、そこで大滝から受けたアドバイスがもっと自分らしさをアピールする事、これをきっかけに「バカンスはいつも雨」が誕生、敬愛するビートルズ調のハーモニカをイントロで使うなどキャッチーな展開をし、先行シングルとしてヒットし、杉真理を明確にアピールした。このアルバムのコンセプトはフランシスコ・コッポラの映画「ワン・フロム・ザ・ハート」にインスパイアされたというもので、キャッチーでポップな魔法のような世界を展開、杉真理の最高傑作の一つと言われるアルバムとなる。82年に松任谷由実、須藤薫とのジョイント・コンサート「Wonder Full Moon 行かないで夏休み」を開催するなど、この時期は杉真理にとっての最初の黄金時代である事は間違いない。佐野元春がコーラスで参加し、シングル曲となった「内気なジュリエット」や浜田省吾がコーラスで参加した「サスピション」、杉真理らしいアレンジが光る「懐かしき 80'S」ストリングスをフューチャーしたバラード「君は天使じゃない」など実にバラエティ豊かなアルバムで、全て杉真理がアレンジを手掛けているアルバムでもある。
「バカンスはいつも雨」
「内気なジュリエット」
「懐かしき 80'S」
「君は天使じゃない」
Bread & Butter Missing Link [CD]
ブレッド&バターのアルバム「Missing Link」は89年にリリースされた、前にも紹介したフィフス・アヴェニュー・バンドのピター・ゴールウェイのプロデュースによる、ニュー・ヨーク録音、しかもアレンジにマレイ・ウェイントン、コーラスにジョン・リンド、ケニー・アルトマンというフィフス・アヴェニュー・バンドのメンバーが揃い踏みというから、70年代にそうした音楽を聴いていた世代にとってはカリスマとも言えるメンバーを平気でレコーディングに参加させてしまうその人脈の広さには本当に驚きました。さらにスティーヴィー・ワンダーのカヴァー「Happie Than The Morning Sun」にはジェームス・テイラーがギターで参加、思わず涙が出そうです。永遠の兄弟デュオがニュー・ヨークで咲いた湘南サウンド、楽曲の良さとコーラスの良さが非常に心地良く耳に残る秀作です。彼らがミュージシャンズミュージシャンと呼ばれて多くの大物アーティストから敬愛されて長年地道に活動し続けているのが良くわかるアルバムです。
「Missing Link 」作詞・作曲/岩沢二弓
「Wyoming Girl」作詞・作曲/井上陽水 編曲/M.Weinstock
「Happie Than The Morning Sun」作詞・作曲/スティーヴィー・ワンダー
Terence Trent D'Arby Introducing The Hardline According To [CD]
Introducing the Hardline According to Terence Trent D'Arby
- アーティスト: D'Arby, Terence Trent
- 出版社/メーカー: Sony
- 発売日: 1988/05/19
- メディア: CD
テレンス・トレント・ダービーの87年に発売されたデビュー・アルバム「Introducing The Hardline According To」はロック、ファンク、リズム・アンド・ブルース、ゴスペルなどをクロスオーバーさせた音楽性で瞬く間に成功を収め、発売後3日間でミリオン・セラーに達する。テレンス・トレント・ダービーはニューヨーク生まれでマイアミで育ちだか、19歳でアメリカを捨て、ヨーロッパに渡りドイツでザ・タッチというファンク・バンドに加わり、このバンドの評判がきっかけでイギリスに渡りデビューする事になったのである、つまり彼の作り出す曲やサウンドはアメリカではなくイギリスの王道であった伝統の上で接した方がはるかにしっくりくるものなのである、そして同時にチョット屈折した音楽的な影が、このデビュー・アルバムにも反映されている。テレンス・トレント・ダービーは再三再四、故郷はロンドンだと思っていると発言、このデビュー・アルバムの各曲においても十分に証明している、最後を飾る「フーズ・ラヴィング・ユー」を除いて、すべてのナンバーがテレンス・トレント・ダービーの楽曲で、その作曲能力だけでも、その非凡さが良くわかるアルバムでもある。
「If You Let Me Stay」
「I'll Never Turn My Back On You (Father's Words)」
「Sign Your Name」
「As Yet Untitled」
Lenny Kravitz Let Love Rule [CD]
「レット・ラヴ・ルール」は、レニー・クラヴィッツが89年に発表した初のスタジオ・アルバム、彼はすべての曲を書いてプロデュースし、ほぼすべての楽器を演奏している。幼い頃から音楽好きの両親の下で、音楽に親しむ生活を送ってきた。少年時代に好きだったミュージシャンは、カーティス・メイフィールド、ジェームス・ブラウン、ジョン・レノン、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ジャクソン5などで、アルバム「レット・ラヴ・ルール」は1960〜1970年代の音楽への愛着を強く打ち出していて、さらに楽器、コンソール、テープに至るまで全てアナログ機材を使用してのレコーディングという、当時の流行とは逆行するようなサウンドが逆に斬新で当時の若い世代にも受け入れられた。特にデビュー当時は「黒いジョン・レノン」と言われるほどにジョン・レノンに影響されたサウンドで、89年にこの様なサウンドが注目を集めるとは思ってもいなかった。
この年に、会社の後輩(22歳)が会社を辞める事になり、この「レット・ラヴ・ルール」のCDを突然渡され「良いアルバムなので聴いて下さい」と言われ去っていった、なので個人的に印象に残ったアルバムとなりました。
「Let Love Rule」
「I Build This Garden For Us」
「Does Anybody Out There Even Care」
おまけでレニー・クラヴィッツと言えば93年にリリースしたこの曲のイメージが強いですよね。「Are You Gonna Go My Way」
Red Hot Chili Peppers The Uplift Mofo Party Plan [CD]
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「The Uplift Mofo Party Plan」は87年にリリース、前作で復帰したヒレル・スロヴァクに続きジャック・アイアンズもバンド復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから初めて日本盤が発売される。前2作でプロデューサーとの相性がどれほど大切かを学んだ彼らが、白羽の矢を立てたのがマイケル・ベイホーン、実験精神の旺盛なマイケル・ベイホーンの下で個々の楽器が実にクリアに録られており、好きだったパンクも、新興勢力のラップも、憧れたファンクも、そのすべてを飲み込んだ新しいもので、世間的な評価はまだまだ低かったレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、彼ららしいサウンドを確立した記念すべきアルバムである。
フリーのベースを筆頭に小気味よいのキメや連打、チェンバー・プログレっぽい様式美を感じたファンクとパンクとロックとラップとヘヴィネスを混ぜたサウンドはミクスチュア・ロックと言われた。
「Fight Like A Brave」アルバムから最初で唯一のシングル。このシングルにはジミ・ヘンドリックスの曲「Fire」のカバーもB面として収録されている。
「Backwoods」セックス・ピストルズのプロデューサー、マルコム・マクラーレンと共作したナンバー。
おまけでデビッド・サンボーンと共演した映像で「Subway To Venus/Sexy Mexican Maid/Back In Black」。
Living Colour Vivid [CD]
88年にリリースされたアルバム「VIVID」はリビング・カラーのデビュー・スタジオ・アルバムで、ビルボードのアルバム・チャートのトップ200で最高6位を記録するほど注目を集め、シングルとしてリリースされた「Cult of Personality」は89年のグラミーのベスト・ハードロック・パフォーマンス賞になります。ギタリストのヴァーノン・リードは先にミック・ジャガー のソロ・アルバム「プリミティヴ・クール」に参加しており、リヴィング・カラーのデモ・テープもミック・ジャガー がプロデュースして売り出しに助力したそうです、またミック・ジャガー がアルバムの中の2曲をプロデュースしています。トーキング・ヘッズのカヴァーである「Memories Can't Wait」や、社会問題を取り上げた「Open Letter (To A Landord)」、人種差別を扱った「Funny Vibe」ではパブリック・エナミーのチャック・Dとフレイヴァー・フレイヴをゲストで参加させるなどして、バンドの方向性を示していきました。またこの頃はステージでトレイシー・チャップマンの「Talkin' About a Revolution」や、レッド・ツェッペリンの「The Ocean」をカバーしていています。
「Cult Of Personality」シングルとしてリリースされ、この曲のリフを中心にして構築されるサウンドから当時は「黒いレッド・ツェッペリン」と呼ばれた。
「Glamour Boys」ミック・ジャガーのプロデュース。
「Memories Can't Wait 」トーキング・ヘッズのカヴァー。
「Funny Vibe」人種差別を歌っているナンバー。
Jeff Healey See the Light [CD]
ジェフ・ヒーリーは、盲目ののギタリスト&シンガー。カナダのトロントに生まれたヒーリーは、1歳のときガンにより失明する。3歳でギターを弾くようになり、17歳のときに初めてのバンドを結成した。その演奏スタイルは、ひざの上にギターを置いて、両手の10本の指を自在に滑らせるというもので、彼独特の奏法である。パトリック・スウェイジ主演の映画『ロードハウス/孤独の街』に出演し、それがきっかけとなりアリスタ・レコードと契約。88年にアルバム「See the Light」でデビューを果した。そこからのシングルカット曲である「Angel Eyes」は、全米ヒットチャート(ビルボード誌_HOT 100 Singles)で最高位5位、89年の年間チャートでも80位にランクされる大ヒットとなった。デビュー当時はブルースロックを前面に押し出していたが、その後は、トラディショナルなジャズの作品も手がけている。2007年にはガンを取り除くために脚と肺の手術を受けて、闘病生活を送りながらも演奏活動は続け、2008年に久々のブルースロック・アルバム「Mess of the Blues」を完成させた。そのリリースを目前に控えた2008年3月2日、ガンのために亡くなった。41歳だった。
デヴィッド・サンボーンがホストをしていた音楽番組「Night Music」 でデビュー当時のジェフ・ヒーリーのプレイを見て感動と衝撃を受けました、その映像が「See The Light」です、バックのミュージシャンはマーカス・ミラー、オマー・ハキム、Dr.ジョンです。
「Angel Eyes」
「Confidence Man」
「See The Light」