Michael Franks Sleeping Gypsy [CD]
南カリフォルニア出身のマイケル・フランクスのセカンド・アルバム。前作「The Art Of Tea」(ニック・デカロが制作スタッフでストリングスのアレンジをしている、彼のボーカル・スタイルに影響を受けているのを感じる)に続いてクルセイダースを中心としたメンバーで、洗練された都会的なメロウなサウンドは、さらに完成度を上げている、マイケル・フランクスのアルバムの最高傑作と言われている。ボサノヴァの創始者、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた名曲「アントニオの歌(虹を綴って)」が一番の聴きどころ、優しくて、リラックスして、しかも知的な香りがするような歌声、「B'wana -He No Home」「Down Brazil」の2曲をサンバの国ブラジルでレコーディングしたのも良い影響が出ている。特にジョー・サンプルのピアノとラリー・カールトンのギターの美しくメロウなサウンドが実に良くマイケル・フランクスの歌声とマッチしている。デビット・サンボーンとマイケル・ブレッカーのサックス陣には、カッコ良くて泣かされてしまう。
名曲、「アントニオの歌(虹を綴って)」ジョー・サンプルのピアノとデビット・サンボーンのサックスが最高です。
「Down in Brazil」は1993年のブルーノート東京の物。
Nick DeCaro Italian Graffiti [CD]
1974年発表のニック・デカロ2枚目のリーダーアルバム。洗練という言葉を音にしたような絶妙で甘美なアレンジメントと素直な音楽に対する声が、マイケル・フランクスを思わせる(マイケル・フランクスのファースト・アルバムのストリングスのアレンジと指揮はニック・デカロです)。ニック・デカロは、アレンジャー、プロデューサーとして、数多くのアーティストの楽曲製作の現場に立ち会い大きな足跡を残しました。この「イタリアン・グラフィティ」は、前述のA&Mから独立したトミー・リピューマが設立したBlue Thumb レーベルからリリースされたもので、AORの元祖と言われる名盤。歌う楽曲もスティーヴィー・ワンダー、ジョニ・ミッチェル、トッド・ラングレン、バン・マッコイなどの隠れた名曲を歌っている。その後は、アレンジャー、とりわけストリングス・アレンジャーとして大活躍、この前に亡くなったヘレン・レディ、ジェームス・テイラー、ドゥビー・ブラザースなど数え切れないレコーディングに参加している。
「Under The Jamaican Moon」スティーヴン・ビショップの曲、マイケル・フランクスを思わせる歌声。
「All I Want」ジョニ・ミッチェルのカヴァー
「Angie Girl」スティビー・ワンダーのカヴァー
Fleetwood Mac RUMOURS [CD]
フリートウッド・マックは67年イギリスで結成、当初はブルースバンドだった、70年代に入るとメンバーを変えながら音楽性をアメリカ的に変え、男女の五人組となり爆発的な成功を収めた。[RUMOURS(噂」は78年にグラミー賞の1977年最優秀アルバム賞を獲得し、ビルボードにおいて31週1位に君臨し,2012年時点で累計4,000万枚の売上を記録した。 前作からの2年間で、グループ内の関係はより面倒なことになっていた。まず、ミック・フリートウッドが妻のジェニーと離婚した。バンドに参加したときは交際していたリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスは別れ、ジョン・マクヴィーとクリスティン・マクヴィーも離婚した。にもかかわらず、5人のメンバーは、全員がバンドに残っていた。結果として、自分たちを苦痛からすくい上げてくれる素晴らしいアルバムを一緒に作りあげた。 安定したピアノプレイと穏やかで安心感を醸し出す暖かい歌声のクリスティン、絵になる二枚目ギタリストでありポップで張りのある声を持つシンガーでもあるリンジー、可憐な容姿と野性的なダミ声かつ哀愁味を帯びた個性派シンガーのスティーヴィーという三者三様のボーカルが醸し出すバラエティとハーモニーは、レコードでもライブでもバンドの大きな魅力となった。
全米1位となった「Dreams」
「Go Your Own Way」は彼らの関係が壊れていく様を暗く言及したものであるとニックスは信じていて、リンジーがスティーヴィーにあてつけして作った曲でもある
James Taylor JT [CD]
ジェームス・テイラーの8枚目のスタジオ・アルバム。ワ-ナーからCBSに移籍しての第一段、プロデューサーに関しては、デビュー後の4作品を手がけたPeter Asherを久しぶりに起用し、バックも初期の作品でお馴染みのザ・セクションのメンバーで、初心に戻ったようなサウンドと、少数精鋭のソリッドなバンド・スタイルを基本に、ウエスト・コースト路線と都会的なスマートさがバランス良く入り、ジェームス・テイラーらしい洗練されたメロウさとAORサウンドが光っていて、一見地味だが何年たっても古くならないジェームス・テイラーのサウンドを顕著に感じさせるアルバムの一つである。リンダ・ロンシュタット、当時の妻カリー・サイモン、リア・カンケルの女性ヴォーカルの起用も効果的で、アメリカ国内で350万枚を売り上げてテイラーの最も売れたスタジオアルバムとなった。
「Your Smiling Face 」2枚のヒットシングル。
「Handy Man」全米4位のヒット曲となり、最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。
「Secret o' Life」ジェームス・テイラーの定番曲
America Hearts [CD]
ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークの3人によりロンドンで結成さたアメリカ、ビートルズなどのイギリスの音楽に影響をうけている。セカンド・アルバム「名前のない馬」がいきなり全米No.1に輝き、ミリオンセラーを記録、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。同年にロサンゼルスに活動拠点を移す。「Hearts」は76年リリースの第5弾アルバムでベストに挙げるファンも多い。「ひなぎくのジェーン」「金色の髪の少女」など数々のヒット曲を収録し、CSN&Yの影響を感じるアコースティック・サウンドとハーモーニーはアメリカならではの音楽にイギリスの要素が入りより深みのあるサウンドになっている、大御所のジョージ・マーティンによるプロデュースも重要な要素だ。
「金色の髪の少女」アメリカの代表曲の一つ。
「ひなぎくのジェーン」このアルバムの一曲目、初期のビージーズを感じるイギリス的な曲。
Bruce Springsteen Born to Run [CD]
ライヴを観たロック評論家ジョン・ランダウは、リアルペーパー誌に「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」と絶賛のコラムを掲載する。そのジョン・ランダウをプロデューサーに招いて製作された、翌1975年8月25日発売のサード・アルバム『明日なき暴走 (Born to Run)』は、Billboard 200の10位に入り、10月18日付けチャートでは3位に浮上する。シングルカットされたタイトル・トラックはビルボード・Hot 100の23位を記録した。また、タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾るという快挙も成し遂げる。 初期の作品においては、青春群像の描写に際立った才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込む事によって、アメリカ民衆の声を代弁する存在へと成長、ボブ・ディランに多大な影響を与えた、ウディ・ガスリーの後継的な立場にある一人とも言われた。
「Born to Run」ライブ・ツアーでのパフォーマンスの凄まじさは、伝説となっている。
Jackson Browne The Pretender [CD]
イーグルスやJDサウザーなどとデビュー前から交流があったジャクソン・ブラウン、70年代のブラウンの作品は、日々の生活の中で感じる苦悩や葛藤、心の痛みなどを歌っており、同世代の人々から高い支持を得た。「The Pretender」 は、76年に発表されたジャクソン・ブラウンの4枚目のアルバム、ブルース・スプリングスティーンのプロデューサーのジョン・ランダウを迎えサウンドが前面に出た作りで、やはりブルース・スプリングスティーンのサウンドを感じてしまう。。アルバム制作段階で妻フィリスが自殺するという悲劇的な出来事があり、その悲しみをまぎらわせるかのようにアルバム制作に没頭したという、その感情の揺れを意識して聴いてしまう。
「The Pretender」
「Daddy's Tune」
LindaRonstadt Hasten Down the Wind [CD]
リンダ・ロンシュタットが1976年に発表した7枚目のスタジオアルバムで、グラミー賞受賞作でもある「Hasten Down the Wind(風にさらわれた恋)」は3枚連続のミリオンセラーアルバムとなった中の一つ、この偉業を達成した最初の女性アーティストである。アルバムの印象はいくぶん地味な印象もあるが、カントリー・ロック・モードから抜け出して、モダンなウェスト・コーストのポップ・スタイルを出し、南カリフォルニア・サウンドになる節目になった彼女にとっても重要なアルバムです。また、カーラ・ボノフやライ・クーダーやウィリー・ネルソンと言った シンガーソングライターとしてすぐに高い名声を得たアーチストの作品が含まれている、当時の彼女のレギュラー・バンドのアンドリュー・ゴールド、ワディ・ワクテル、マイケル・ボッツ、ダン・ダグモアらのレコーディングで、当時のライブ・サウンドになっているの魅力的だ。
「The Tattler」ライ・クーダーのカヴァー。
「Hasten Down The Wind」ウォーレン・ジヴォンの傑作バラード
The Stylistics The Best of the Stylistics [CD]
スタイルステックスは、フィラデルフィア・ソウルの主要アーティスト、フィリー・ソウルの巨匠トム・ベルの力添えによりアルバム「スタイリスティックス登場」でデビュー、「Betcha By Golly Wow」「Stop, Look, Listen」「You're my everything」を立て続けにヒットさせた、黒人コーラス・グループの中でも、甘く洗練されたスウィート・ソウルというスタイルが持ち味、リードのラッセル・トンプキンスJr.のツヤがかったハイ・トーンのスウィート・ヴォイスと、クラシックにも精通していトム・ベルの緻密に計算されたストリングスやホーンのアレンジの美しさの世界は素晴らしいい(ローラ・ニーロでも取り上げているデルフォニックスの「La-La Means I Love You」もトム・ベルのプロデュースです)。「You're my everything」はダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイのデュエットでカバーされ、プリンスは「Betcha by Golly, Wow」を「この世で最も美しいメロディー」と評し1996年のアルバム『Emancipation』でカバーし、シングルにもした。
「You Are Everything」スタイルステックスの代表曲。
「Betcha By Golly Wow」繊細なヴォーカル・ワークが美しい。
映像は、ヴァン・マッコイがプロデュースをしたアルバム「レッツ・プット・イット・オール・トゥゲザー」から、名曲「You Make Me Feel Brand New」
Eagles [CD]
1971年、リンダ・ロンシュタットのアルバム『Linda Ronstadt』のレコーディング・メンバー、彼女のツアー・バンドとして集められたミュージシャン達はバンドを結成し、後に彼らは独立して「イーグルス」と名乗った。ファーストアルバムは、オリジナルメンバーであるグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4人全員がリードボーカルを採り、コーラスワークもレベルの高いものとなった。グリン・ジョンズがグレン・フライによってプロデューサーに選ばれた、彼はローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』やレッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムなど、ロック指向の強い多くの作品にエンジニアとして関わっていた経験を持つベテランで、イーグルスはロックン・ロールに向いていないと思っていてカントリー的要素が強いアルバムになっている。先にシングルとして発売されたグレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作の「テイク・イット・イージー」がヒットした。アルバムは1972年6月1日に発売された。
「Take It Easy」1972年にデビュー曲でいきなりシングルがヒットを記録。
「Witchy Woman」は、「Take It Easy」に続いて全米でヒット、流石と思わせるドン・ヘンリーのヴォーカルと4人のコーラスと演奏。